歴史の境界を探れ!

tower of the sun / hirotomo
歴史の境界を探れ!
introducing 「赤頭巾ちゃん気をつけて」「日本万国博」
高名な経済学者ピーター・ドラッカーは、「歴史にも境界がある」と言う。「1965年から73年のどこかで、世界はそのような境界を越え、新しい次の世紀に入った」
そのような境界とは、目立つこともなく、その時点で気づかれることもない。だが、ひとたび越えれば、社会的な風景と政治的な風景が変わり、気候が変わる。言葉が変わる。新しい現実が始まる。
1965年(昭和40年)から1973年(昭和53年)と言われても、小学5年生(10歳)から予備校生(18歳)だった僕は、身も心もめまぐるしく変化する時期で、学校も住居も3度変わり、とてもグローバルな観点で世界の歴史を見れるわけがない。
その間、円谷プロが「ウルトラQ」の放映を始め、円谷英二氏が68歳で亡くなり、「怪奇大作戦」に夢中だった僕は「ウルトラマンタロウ」に見向きもしなくなる。
アメリカン・ニュー・シネマに呼応するかのように「日曜洋画劇場」が始まり、TVで熱心に映画を見始めた僕は、「明日に向って撃て!」を切っ掛けに劇場の大きなスクリーンで鑑賞するようになる。
ビートルズが「ヘルプ!」を発表した頃にやっと彼らの存在を知り、彼らが来日し、事実上解散状態になってそれぞれ精力的にソロ活動を始め、ジョン・レノンが「イマジン」を発表する。
アメリカのヒット・パレードを賑わせたシュープリームスからダイアナ・ロスが独立し、彼女に後押しされたジャクソン5がデビュー曲から4曲全米ナンバーワンを獲得し、合わせてマイケル・ジャクソンがソロ活動も始める。
シネワンらしく映像や音楽体験だけに絞っても、歴史の境界を見出せるわけがない。おそらく映像用語で言う、画面の片側からふき去って次のシーンに移行するワイプのような感じで次の世紀に入ったのではないかと思う。
ハイホー、マンハッタン坂本です。
その中で、多くの人々が象徴的な年として取り上げるのが、ドラッカーの言うところのど真ん中「1969年」である。
昨今のトレンドで言えば、由紀さおりが日本語でカバーしているにもかかわらず、ピンク・マルティーニの本拠地であるアメリカを中心として世界23ヵ国でアルバム「1969」が売れている。
山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズの第1作が公開されたのも1969年である。以後、48作も製作され、世界最長の映画シリーズとしてギネス・ブック国際版に認定される。
だが1月の東大安田講堂の封鎖解除、6月の新宿駅西口広場フォークソング集会、11月の佐藤首相の訪米を阻止する羽田闘争(赤軍派は東京战争と呼ぶ)など、一連の安保闘争が沈静化していくのも1969年である。
大島渚監督は言った――「60年代の闘争は羽田闘争で終りを告げた。それ以後の若者はもはや戦後派だ」
全共闘世代のあとに現れた僕らは、三無主義の「しらけ世代」と呼ばれた。三無主義とは、無気力、無関心、無責任である。東京電力の重役と同じだ。
東大受験を目指していた高校3年生の薫(岡田裕介)は、朝から踏んだり蹴ったりである。
全共闘の安田講堂立てこもり事件の影響で、東大入試の中止が発表される。左足の親指の爪が剥がれ、香港風邪がひどくなる。愛犬のドンが死ぬ。
電話でうっかり口にした些細な言葉が癇にさわり、幼なじみのゆみから絶交を言い渡される。
「どうせ君たちは鼻持ちならぬ体制エリート候補だからな。東大の法学部でも行って、大蔵省あたりに入って、つまらん人生を送るのが関の山なんだから」
同級生の言葉が薫の頭の中を過ぎる。いやったらしいお行儀のいい優等生だと思われているからだ。
彼はその日一日、自分の不運と優柔不断さと不甲斐なさを悩み続ける。
銀座の人ごみの中でボーッとしていると、左足に激痛が走る。電柱によりかかると、五つくらいの女の子が心配そうに見ている――「あたし、とっても急いでいたの」
それがきっかけで仲良くなった薫は、一緒に本屋へ行き、彼女のために一番いい「赤ずきんちゃん」を選んでやる。選んでいるうちに、なんとなく自信がわいてくる。
薫は女の子を見送りながら、「気をつけて!」と叫ぶ。
1969年7月21日(日本時間)、アポロ11号が月面着陸に成功する。
「1人の人間にとって、これは小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」
そう言ってニール・アームストロング船長が持ち帰った月の石が、大阪府・吹田市で開催された「日本万国博覧会(EXPO’70)」のアメリカ館で展示される。それを見るのに4時間以上も待たされ、テーマである「人類の進歩と調和」を揶揄した「人類の辛抱と長蛇」の列に僕も加わる。
「太陽の塔」がそびえ立つテーマ館で行われた開会式は、日本国旗掲揚のあと、パビリオン制服に身を包んだホステス(その当時、そう呼ばれていた)が次々と現れ、自国語で「こんにちは」と言って始まる。
参加77ヶ国などの旗が掲揚され、佐藤首相や大阪府知事の挨拶のあと、昭和天皇が開会を宣言する。
自国の特徴を出しつつ様々な形態をした色とりどりのパビリオンが広大な千里丘陵に建ち並んでいる。公害問題への取り組みを強調するイギリス館、原子炉模型を展示するフランス館、レーニン生誕100年を祝うソ連館、アポロ11号関連の展示物が目玉のアメリカ館、などなど。
台湾の正式名称である中華民国は、絹や紙や円周率や火薬など中国十大発明を誇示する。
200名以上の死者を出したペルー大地震の募金活動をするパビリオンもある。
サンフランシスコ市館は、ケネディやリンカーンやキング牧師の暗殺を憎んで銃や剣で作った平和の像を披露する。女性館長は、姉妹都市である大阪市長に花束を贈呈する。
みどり館では、全天周スクリーンであるアストロラマに迫力ある映像を映し出す。
万国博美術館では、世界中の貴重な美術品を一気に鑑賞できる。
日本館のホステスが観客に向って説明する。
「日本は世界で唯一の被爆国です。この忌まわしい原子力を平和に利用し、人類に役立つようにと願いを込めて、喜びの塔を作ったのです」
183日間に6400万以上の観客を集めた大阪万博が閉会する。各国のホステスたちは日本語で「さようなら」を言って去って行く。
(注釈2)
1970年に開催された大阪万博は、通産省時代の1965年に堺屋太一氏が提案し、実現した国家的大プロジェクトである。大阪にとってその年がピークだったのかもしれない。その後の衰退を見ればそう思えてくる。
だが再び大阪が注目を浴びている。1969年生まれの橋下徹氏が唱える「大阪都構想」である。平成維新とも言うべき体制(システム)改革に挑もうとしている。
東日本大震災、福島原発事故、565万もの住民が暮らす地域の放射線汚染、それに対する日本国政府、東京電力の何ともいい加減な対策。
大半の日本国民が国などアテにできないと実感しているにちがいない。
そんな閉塞感の漂う日本にあって、橋下徹氏は大阪を変えることによって日本の未来に光を灯そうとしている。
日本には強力なエンジンが二つ必要だ。西日本の住民としてではなく、日本国民として大阪の復活を応援したい。
(注釈3)
歴史の境界を探るのは、未来の歴史学者に任せておけばいい。
僕らが自覚しなければならないことは、新しい現実と向き合うために、既存の世界観や価値観をリセットすることだ。
注釈1、「赤頭巾ちゃん気をつけて」(監督:森谷司郎)
日本映画 1970年製作
原作、庄司薫(芥川賞受賞)

メーカー:東宝
メディア:DVD
注釈2、「日本万国博」(監督:谷口千吉)
日本映画 1971年製作 英題:Japan World Exposition

メーカー:ジェネオン・エンタテインメント
メディア:DVD
注釈3、「体制維新――大阪都」(著者:橋下徹 堺屋太一)
初版:2011年

出版社:文藝春秋
メディア:新書
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