インテリア・ロマンス 1980 第一幕

A LONG VACATION 30th Edition
マンハッタン坂本に気をつけろ! エピソードⅡ
情けねえって言うか、やつはへタレだ!
ネタに困ったときは、親切にも未公開小説のディテールを提供してやってるのに、記事を100本書いたら「ロング・バケイション」したいって抜かしやがる。
100本が聞いて呆れる。その中に俺の創作が4本もあるじゃねえか。おまけに、無理やり3桁に乗せるため、戯曲を第1幕と第2幕に分けて公開しろって言いやがる。
「グッバイ!三谷幸喜」なんてタイトルの記事を書いて、お膳立てしてやったんだからって恩着せがましい。
だいたい、名作映画ナビゲーターなんて身分不相応の触れ込みからして気に食わない。おまけに、ハイホーを流行らせようなんてアホとしか言いようがない。
能天気な挨拶したって書いてることは、震災ネタばかりでウザいんだよ。だからユーザーに飽きられるんだ。
まあいい。やつの魂胆は解ってる。1991年から20年のつき合いだ。何考えてるのか、ズバッとマルッとお見通しだ。
要するに、自分の記事を引き立てるために俺の習作を公開させて、俺を笑い者にしようって魂胆だ。受けてたってやろうじゃねえか。
ウディ・アレン脚本の「ボギー!俺も男だ」を下敷きにしたニール・サイモン風喜劇もどきでいいんだな。
最後に、ロンバケする暇があったら、くたばれ!     
                                                          (文責:坂本 亮)


インテリア・ロマンス 1980 第一幕                    作:坂本 亮
                                                                                                                                                                       登場人物  松本 明 (25歳)
        藤岡俊介 (27歳)
        西園優子 (20歳)
          ★
        西園綾子 (22歳)
        松本玲子 (20歳)
        短編小説の女たち(4名)
               以上、一人6役
第一場  1980年3月某日―昼下がり
第二場  同、3時間後

第一場

ある地方都市のタウン誌「シティ文芸」の編集室。都心の雑居ビルの7階に位置し、客席の方は、かつて路面電車が走っていた通りを見下せる大きな窓がある。
右手に、ひと月分のスケジュールが書かれたスチール製のボードがかかっており、その前に洒落たクリスタルのデスクがある。編集長のデスクで、その上に乗っているのは、電話機を除くと、大小様々な灰皿だけである。
右手奥には、資料を綴じたバインダーや書籍(原書が多く、雑誌はほとんどが「ニューヨーカー」)が並んだ大きな本棚がある。
中央壁面には、「マンハッタン」や「クレイマー、クレイマー」など、封切館と封切日のついた映画のポスターが貼ってあり、コーヒーメーカーの置かれた小さな茶棚の上の方に、埃をかぶったテニスのラケットがかけてある。
その前方に、スチール製のデスクが四脚あり、編集スタッフの原稿や資料がところ狭しと置いてある。
左手は、奥がドアになっており、少し離れてステレオ・コンポがある。ラックの中は試聴用のレコードやテープがぎっしり詰まっている。何故かスピーカーの横に、様々なレコードのジャケットを飾った立体ディスプレイがある。
そしてそれを眺めるかのように、中央に来客用のソファとさり気なく「シティ文芸」を数冊置いたテーブルがある。
開幕。
1980年、3月某日。昼下がり。
松本明は、今日25歳になったばかりの「シティ文芸」の編集スタッフ。歳の割に頭が薄く、黒縁の眼鏡をかけており、どことなくとぼけた面構え。
彼はデスクを2脚占領し、単行本や原稿用紙、筆記用具が散乱した机上の片隅で、何やらノートに走り書きをしている。
目の前でこれ見よがしにデスクの上をかたづけたスタッフ二人が目的地を告げ、部屋を出て行く。
明、ふいに書く手を止め、立ち上がってドアのところへ行き、外を眺める。
その風貌たるや、着古したウエスタン・シャツにツギハギのジーンズ。本人はカッコいいと思って何年も着ているが、痩せ過ぎているため間が抜けている。
急ぎ足でデスクに戻った明は、引出しを開き、中から写真立てを取り出す。しばしいとおしそうに見つめる。
と突然、スタッフが一人かけ込んでくる。
慌てて写真立てを伏せる明。スタッフが忘れ物を手に取り外に出るまで、落ちつかな気に眺めている。それからドアのところへ行き、もう一度外を眺めまわす。
デスクに戻ると、再び写真立てを見つめ、おもむろに原稿用紙の束の中から数枚取り上げる。立体ディスプレイのところまで行き、ジャケットの中からじかにLPレコードを抜き出し、プレーヤーに置く。
針を落とすと、スピーカーから叙情的なピアノ曲が流れる。
明、左手に写真立て、右手に原稿用紙を握り、窓の方へ歩み寄る。
彼はタウン誌の記事を書くかたわら、短編小説も書いている。彼のイメージする女子は、常に写真の中の彼女である。2年前に別れた玲子である。彼は常に彼女に語りかけるつもりで書いている。それは時に、彼女に似た女子が現れたりすると、白日夢になることさえある。
明は窓際に立ち、彼女を見つめながら小説の一節を読み上げる。

 「いいかい。君は自分が若くて綺麗で、釣りたてのデメキンみたいにピチピチしてるってことに、今の今まで気づいたことがあるのかい?」
「もちろんよ」(女の声音を使うが、どうもオカマぽい)玲子はきっぱりと言った。「でもあたしの目は、顔の半分を占めるくらい大きくなくてよ」
「君は僕にとって自慢だ。誰にも負けないくらい美しい」崇は彼女の目をじっと見つめた。彼女も視線をそらさなかった。「ただし、僕がそう感じるのは、君が、他でもない君自身がそのことをまるっきり忘れているときなんだ。(声が次第に熱っぽくなる)君は、擦れ違う男たちがみんな、首の骨を折りかねないくらい君を振り返って見てるっていうのに、まるで自分ひとりの歩行者天国のように道路の真ん中を闊歩したものだ。
それから君は、まわりの男たちの視線がスペースシャトルの打ち上げのときのように注がれてるっていうのに、地下鉄のシルバーシートに腰を下ろして、サリンジャーの短編小説を読み耽っていた。
(顔を上げ、観客に向かって)だからいつも君は、君だけの世界でキラキラ輝き続けていたんだ!」
明、ひとり悦に入っている。
と、幻想の照明がつき、ドアの方から、さらりと長い黒髪の玲子が現れる。

玲子 それがあなたの願望だったのね。
 (声の方を振り向く)やあ、元気?(玲子を見つめる)驚いたな。
玲子 (明に近づきながら)相変わらずキザなセリフ。
 なかなかいい出来だろ?
玲子 あなたにしてはね。(窓際で明と肩を並べる)今度はどこから仕入れたの?
 最近、アーウィン・ショーに凝ってるんだ。
玲子 アーウィン・ショー? 聞かない作家ね。でもどうせあなたのことだから、「ニューヨーカー」出身のユダヤ系かなんかでしょ?
 (苦笑いし)相変わらず勘がいい。
玲子 あなたっていつもタネ明かしされたがってたわ。とぼけた顔して。
 それにしてもこのセリフ思いついたときって感動モノだったなあ。暇つぶしに初詣でに繰り出そうって電車待ってたら、女子大生みたいな女の子たちがベンチでキャッキャ騒いでて、その向こうでそそとして本を読んでる、19歳の女の子がハッとするほど綺麗でさ――。
玲子 どうして19歳だと分かったの?
 そりゃ最初に出会ったとき、君が19歳だったからさ。思い出すなあ。あのとき眼鏡なくて君の顔が全然見えなかった。
玲子 じゃ、この小説の女の子も19歳?
 こっちは22歳。
玲子 22歳? 今の私と同じ?
 (観客に向かった独白する)早いもんさ。君があのときの僕の歳になって、僕は今日で25歳ときてる。えらく大変な歳だよ。「死ぬるにしても生きるにしても25までに決めよ」か。まったく晩飯のおかずでさえ決めかねてるっていうのに……。
それにしても25になって何をしてる? 売れないタウン誌の映画情報集めに気ぜわしい毎日を送り、飽きもせず下手な短編小説を書き続けてる。
玲子 学生の頃なんかもっと下手だったわ。三面記事と見分けがつかないくらい。
 (玲子を振り返り)僕はロマンスを書いてたんだ!
玲子 ロマンス? ないものねだりの私との関係がロマンスだって言うの?
 そうじゃない。君にハッピーエンドなんか期待してたんじゃない。第一、人の心ってしょっちゅう変るもんだよ。僕らにしたって、出会ったときとは別人になったじゃないか。
玲子 そうね。あなたは少なくとも私の心をつかんだわ。線香花火が燃え尽きる間だけは――。
明 でも君は、言葉なんて必要ないモデルだった君は、僕の手の届かない深夜放送のパーソナリティなんかやり出した。
玲子 あなたのお陰ね。感謝してるわ。
 何でプロになんかなったんだよ?
玲子 別れ際に、君の可能性ならばね、て励ましてくれたせいよ。
 あれは、こっちに戻って来ても君の声を聞けるかもしれないって思ったからさ。ところが君の放送局の電波って、こっちまで届いてくれやしない。
玲子 どうしてロマンスを書き続けるの?
 今の世の中にロマンスがないからさ。
 (再び観客に向かって独白する)何故って、お互いがお互いを必要としてるなんて、それほど重要じゃなくなったんだ。そんな重荷なんか定期預金にしちゃって、誰もが自分の都合だけで生きてる。だから僕はロマンスを書き続ける。またまた女の子に逃げられたからじゃないんだ。そんなことは今に始まったことじゃない。
玲子 同じこと繰り返して、うんざりしないの?
 いつもうんざりさ。でも自然にそうなっちゃうんだ。気づくと、バナナの皮でころんじゃってて、その度に眼鏡を買い替えなきゃいけない。
玲子 あなたの可能性って、どこに行ったの?
 人生ってのは、つまづきの連続さ。つまづく度に可能性が一つ一つ消えていく。だからって全部なくなっちゃうわけじゃない。君にしたってつまずかないって保障はないんだ。
玲子 確かにね。でも私は何とか乗り越えていくわ。
 一人で?
玲子 ほとんど一人でね。自分以外の誰かが救えることって限られてるわ。
 いいかい。僕に残された可能性ってのは、そこにあるんだ。
玲子 私に期待しても無駄よ。
 分ってる。分ってるけど、僕は誰かを一瞬でも救えるんじゃないかって思うんだ。
玲子 例えばどうやって?
 一緒に笑ったり、ハモったり、信号を無視したりしてさ。そうやって僕自身も救われるかもしれない。
玲子 つまり、あなたのロマンスって、そういう気分で始まるのよ。
 間違ってる?
玲子 もっとあなたは現実のロマンスを知るべきだわ。
 リアリズムなんてご免だな。
玲子 知ってる。いい? 私が消えたあと、あなたの先輩から電話がかかってくる。そしてその先輩を訪ねて私の同級生があなたの前に現れる。それから始まるの。
 君は登場しないの?
玲子 私は、登場するかもしれない。しないかもしれない。分からないわ。とにかく……(ドアに向かって歩き出す)これから始まるロマンスをこう呼ぶことにするわ。

玲子、ドアの前で立ち止まり、明を振り返る。

玲子 「インテリア・ロマンス 1980」
玲子、ニッコリ笑い、ドアの外へ消える。
と同時に、電話のベルが鳴り出す。
明、ドアの方を茫然と見つめたまま、マネキンのように突っ立っている。
すでに幻想場面の照明は消えている。
4、5回やり過ごし、ハッと我に返る明。その拍子に、手に持っていた写真立てをテーブルの上にすべり落とす。跳びつくようにして編集長のデスクの受話器を取る。

明 (焦って)はい、もしもし。(受話器を逆に取ったことに気づき、慌てて持ち直す)もしもし、「シティ文芸」ですが……藤岡さん?……いや別に、まあちょっと小説のディテールが浮かんだりして……そう、よく分るね、別れ話だって……あのね、否定はしないけど、人をカラクリ人形みたいに言わないでよ。(編集長の椅子に座りながら)ところで今、飛行場?……そりゃ分るよ。それともアリバイ・テープでも使ってんの?……テクノポリスの様子はどう?……へえ、いよいよナルシストの時代近しってところか……僕? 僕はそういう自己完結の仕方はしないの。あくまで状況と共に笑い飛ばすわけ。ヘルメットをしっかり押さえて――。
ドアがスーッと開き、西園綾子が顔を出す。
明はまったく気づかない。

 じゃ、晩酌には間に合うわけね。(猫なで声で)めざしとタクワン用意して、首を長~くしてお待ちしてるわあ。
明、受話器を置く。顔を上げると、ドアの前に綾子が立っている。
彼女は、髪がさらりと長く、あっさりしたブルーのワンピースを着ており、モデルのようにスタイルがいい。まるで玲子と瓜二つである。
明はポカンと口を開けたまま、声が出ない。

綾子 (待ちかねたように)こんにちは。
 あぁ(どもる)こ、こんにちは。(と、立ち上がる)
綾子 入ってもいいかしら。
 え? ああ、どうぞ。中のほうへ。遠慮なく、どうぞ。
綾子 (歩み寄りながら)失礼だけど、あなた編集長?
 いえ、とんでもない。代理です。
綾子 やっぱし。
 本来なら向こうのデスクに座ってるんですけど。(思わず自分のデスクを指差す)ああ、ちらかってる方じゃなく、かたずいてる方。それで、編集長の留守が長いと、こっちに出稼ぎに来ちゃうんです。編集長に用ですか?
綾子 ちょっとこの辺通りかかったから、車止めて――。
 車止めるところありました?
綾子 このビルの真下よ。
明 ええ! 本当ですか? レッカー車で引っ張られちゃいますよ。
綾子 (きっぱりと)大丈夫よ。
 ……よかったら、ソファにでも座りませんか?
綾子 ありがとう。
綾子、ソファにゆったりと腰を下ろし、部屋の中を眺め回す。
明はその様子を緊張気味に見ている。

綾子 でもホッとしたわ。
 何がホッとしたんですか?
綾子 え? ああ、表に「シティ文芸」なんて看板かかってたでしょ? 何だか中へ入ると、地震のあとの図書館みたいじゃないかって思ったんだけど。
 普段はそうなんですけどね。
綾子 でしょ? でも映画のポスターとかレコードのジャケットなんか飾ってあって、予想外だったわ、正直なところ。
 ああ、あれか。実を言うと、以前この部屋を借りてたのが、レコード会社の宣伝マンでしてね。うちの編集長がよく遊びに来てたらしくて、そのうちここがえらく気に入っちゃって、強引に乗っ取ったんですよ。
綾子 俊ちゃんらしいわね。
 俊ちゃん?……ひょっとして藤岡さんとはかなり親しいんですか?
綾子 初めから話すと長くなるんだけど、いわば、共に苦楽をなめ合った戦場の医者と看護婦の関係、て言うと大袈裟かしら。戸籍上は又従兄なの。
 又いとこ? なるほど。……そう言えば、僕の友だちに、人類みな又いとこって言ったやつがいたな。
綾子 どうして又いとこなの?
 ええ、実を言うと、その友だちってのがドイツかなんかを一人旅したんですよ。それで凄く親切な老夫婦と出会いましてね。車で観光案内してくれたり、手料理を食べさせてくれたり、家に泊めてくれたり。だから別れ際に、いつかお返しするってその友だちが夫婦に言うと、私たちじゃなく、他の人にそういう親切をしてくれって言われたんですよ。そうすれば、巡り巡って私たちに戻ってくるって。友だちはいたく感激しましてね、その日からやつにとって、ドイツ人は又いとこなんですよ。
綾子 その友だちって、あなたのこと?
 まさか。とんでもない。違いますよ。
綾子 あら、そう。でもその老夫婦って、いかにもアダムとイヴの子孫って感じ。
 そうですね。それにしても、藤岡さんの知り合いだったら、大抵会ってるつもりなんだけど――。
綾子 こっちにほとんどいなかったからよ。4年前に高校卒業して。
 前線に送り込まれたんですか?
綾子 受験戦争だけど。
 それなら僕も従軍したことありますよ。東京で。

綾子、何気なくテーブルの上の写真立てを手にとり、眺める。

綾子 東京の大学行ってたの?
 途中で辞めちゃいましたけど、女の子にふられ過ぎて。
綾子 今思い出したけど、私、あなたのこと知ってるわ。松本くんでしょ?
 ええ、そうです。嬉しいなあ。どこのパーティでお会いしたのかな。名前を教えてもらえれば――。
綾子 俊ちゃんとは関係ないわ。それにあなたと会うのも初めて。あなた、玲子の昔のお友だちでしょ?
 ええ! まさか。(思わず写真立てを指差す)
綾子 (写真を見ながら)この写真、3年前のあなたと玲子でしょ? 今じゃ彼女、随分髪を短くしたけど。
 どうして彼女を知ってるんです?
綾子 それほど仲良しってわけじゃないのよ、玲子とは。学科は違うし、髪型も違うし、ボーイフレンドの趣味だって違うし、たまたま共通の知り合いがいたのよ。それで何度かスコッチ飲みながら話しただけ。
 彼女、元気してますか?
綾子 さあ、どうかな。今年になって会ってないし、生きてるかどうかも。でももうすぐ卒業式だから、よろしく伝えておくわ。
 あ、ありがとう。
綾子 ねえ、どうして髪を切ったのか、知ってるの?
 さあ、1年前に会ったときはまだ長かったし――。
綾子 その直後よ、髪を切ったの。想い出と一緒に。
 ……ああ、なるほど。
綾子 ところで、いつから俊ちゃんの下で働いてるの?
 ……え?
綾子 売れないタウン誌の編集をやり出して何年?
 ああ、都落ちしてからすぐ。
綾子 2年?
 ええ。実を言うと、藤岡さんとは高校時代からのくされ縁なんですよ。もう10年になるかな。同じクラブの先輩と後輩でね、同じ新入部員の女の子に一目惚れしちゃって、二人で争った仲なんですよ。でもあっ気なく彼女がテニス部に鞍替えして、ほとんど同時にふられちゃったけど。
綾子 それで松本くんはテニス部に入ったの?
 ああ、あれでしょ? (と、ラケットを指差す)買うことは買ったんですよ、1年生だったから、まだ可能性ありってね。でも藤岡さんに、同じふられた仲だろ、抜けがきはないぜ、なんて抱き込まれちゃって、お陰で今日までその調子ですよ。
綾子 ラケットは使わず仕舞い?
 10年間、埃かぶってますよ。
綾子 それはお気の毒。
 あの、ジャック・レモンが、ゆでたスパゲッティの水を切るのに、テニスのラケットを使ってたって映画知ってます?
綾子 いいえ、知らない。
 じゃ、ウディ・アレンがバスルームのクモを退治するのに、ラケットを使ってた映画は?
綾子 私、あまり映画は見ないの。
 嫌いですか?
綾子 嫌いじゃないけど、招待券もらえないから。
 だったら任せてください。実を言うと、僕は映画紹介の担当やってましてね、そういうタダ券を手に入れるのは得意なんですよ。おまけに、世の中を映画がらみで眺めちゃうのも得意でね、何とか映画みたいにラケット利用できないかって、虎視タンタンとしてるわけですけど。
綾子 実を言うと、て話し出すのも得意みたいね。
 そうなんです。これでメロウな曲でも流れれば、感動的な話ができるんだけど……。
明、ラケットの方をいとおしく見つめる。
と、幻想場面の照明になり、メロウなピアノ曲が流れる。
明、編集長の椅子から腰を上げ、幻想の女(綾子)を見つめる。

 君がテニス部に鞍替えしたって聞いたときは相当びっくりしたけど、(ソファに座り、女と向き合う)コックリさんの予言通り、20歳で結婚したってのは流石に参ったな。おまけに今じゃ、三つになる娘の母親ときてる。
 もう4歳よ。よく憶えてるわ。
 君に似てきた?
 美人になったわよ。私が嫉妬するくらい美人。一人前にしなはつくるし、カーテンと同じ色の服は絶対着ないの。
 へえ、たいしたもんだ。
 (くすくす笑う)あなた、憶えてるかしら。あの子を初めて見せたとき。私が玄関先で、もう生んじゃったのよ、て言ったら、どれどれなんて上がり込んできて、ベッドの前で感極まった顔して、たいしたもんだ! て言ったわ。
 忘れてた。
 あのとき私思ったのよ。松本君って、高校の頃からちっとも変ってないなあって。
 色々変るには変ったんだけどね、天気予報に合わせて。
 ねえ。私がテニス部に入る前、一度だけデートしたことあるでしょ?
 映画を観に行ったんだっけ?
 どんな映画を見たか、憶えてる?
 チャイコフスキーが結婚に失敗して、自殺しそこなった映画。
 もう一本は?
 二本立てだった?
 そうよ。2本ともちゃんと見たわ。もう一本は、ロシアの子供たちがいっぱい出てきたわ。
 憶えてないな。
 ほら、のっけに、両親をなくしちゃった子供たちが、10人くらいの兄弟だったかしら、遠い親戚を求めて旅に出るところから始まったでしょ? それで寒い寒い冬の間中、広いロシアの大地をさ迷い歩くの。道に迷ったり、野宿をしたり、歌を歌ったり。途中で一番下の子供たちは親切な人たちに引き取られたりなんかしたけど、やっとのことで親戚の家までたどり着いたの。そして子供たちは、真白な雪の下から雪割草を見つけるの。
 ……「雪割草」かあ。
 そう。その「雪割草」を見終わったあと、私はじっとうつむいて黙っていたわ。何故だか憶えてる?
 ……泣いてたんだろ?
 違うわ。涙がかわくのを待ってたのよ。(明を刺すように見つめる)今にもこぼれ落ちそうな涙を目にいっぱい溜めて、何も映ってないスクリーンの方をじっと見つめてる、あなたの涙がかわくのを待っていたの。
明、しばし女の眼差しに射すくめられ、恍惚としている。
が、ふいにラケットの方を向く。ラケットをぼーっと眺めながら編集長の椅子に座る。
すでに照明は消えており、音楽がフェイド・アウトする。

綾子 どうかしたの?
明、ハッと我に返り、綾子の方を向く。曖昧な微笑みを浮かべる。
綾子 なんか恋人みたいにラケット見つめてたけど。
 (苦笑し)ああ、そうですか。参ったな。
綾子 画期的なラケットの利用法でも思いついたの?
 いや、そうじゃないんです。何て言うか、ついやらかしちゃうんですよ。ストーリーが思い浮かぶと――。
綾子 ストーリー?
 ええ。実を言うと、短編小説書くのが趣味なんですよ。大学時代にサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」を読んだのがきっかけで。でまあ、うちの雑誌に時々載せるんだけど。
綾子 どんな話書くの?
 ……ちょっぴりおかしくって感動的な話かな。
綾子 私は汚辱的な方が好きだわ。
 汚辱的?
綾子 どちらかって言えばね。あなたは嫌い?
 少なくともそういう話って書いたことないな。
綾子 どうして書かないの?
 嫌ですよ。例えば、僕が八百屋だったら、そういう汚辱的なトマトなんか売りたくないですよ。カレーの隠し味に使うにしても。
綾子 カレーライスつくるのも趣味?
 登場人物が初めから終わりまで、カレーを食べ続けてる短編小説を書こうって3年前から考えてるんですけどね、どうもその雰囲気にピタッとくる会話が思いつかなくって。
綾子 でも今、アメリカでベストセラーになってる小説でね。ある作家の生い立ちから33歳で殺されるまでを描いたやつがあるんだけど、第1章の出生のエピソードが凄かったのよ。まったくその第1章ってのが、それだけで完結した汚辱的短編小説なのよ。
 へえ、そんなに?
綾子 母親ってのが看護婦でね。凄い男嫌いなんだけど、子供を生んでみたいって欲望だけはあるのよ。それで彼女は、戦闘で頭やられちゃった飛行機乗りと――その男の症状てのが日に日に子宮に向かって退化していくやつでね、男が2、3歳になったとき、一度だけ交わって身ごもるの。何か凄く汚辱的じゃない?
 ええ、めまいがしますよ。そのあと長いんですか?
綾子 「デーヴィッド・カパーフィールド」ほど長くないかな。それにあまり難しい単語も出てこなかったし、1週間で読んじゃったかしら。
 あの、単語って、原書で読んだんですか?
綾子 翻訳なんて出てないわ。
 参ったな。じゃ、藤岡さんみたいに「ニューヨーカー」の斜め読みなんかできるわけ?
綾子 「ニューヨーカー」て、あのニューヨークのタウン誌のこと?
 ええ。かつてサリンジャーの短編小説を載せ、ベトナム戦争に反対し続け、未だに田舎のおばさんのために編集なんかしない文芸誌。
綾子 目次ついただけで、石油ショック並みに話題にされるやつね。でもたいして読んだことないわね。俊ちゃんはかなり気に入ってるみたいだけど。
 て言うか、目指してますね。
綾子 そうかしら。
 僕が短編小説載せられるのもそのお陰だし、「街の話題」とかノンフィクションとか、一般のタウン誌にはない記事が色々とあるでしょ。
綾子 それは俊ちゃんの道楽よ。
 道楽?
綾子 そう。道楽だと思うわ。何故って、ニューヨークと同じことを、日本の、それも地方都市でやろうってしてるのよ。道楽以外にないわよ。
 ニューヨークだって地方都市でしょ?
綾子 地方的な都会性って意味ではね。でも今さら日本で、地方独自の文化なんて育たないと思うわ。伝統なんて観光ファッションに過ぎないし、そのうち全国金太郎飴みたいな文化になるんじゃない。それ承知で、俊ちゃんは文化もどきを捏造してるのよ。
 僕はまた、ニューヨークかぶれかと思ってました。
綾子 俊ちゃんが?
 致命的ですよ。
綾子 そう言うあなたは?
 ニューヨークかぶれ。
綾子 影響されたわけ?
 とんでもない。影響されたのは、ニューヨークの上品な部分だけ。
綾子 それ以外は?
 藤岡さんの受け持ち。

綾子、テーブルの上の灰皿を手に取り、編集長のデスクの上を眺める。

綾子 相変わらずコレクションが凄いのね。
 参ってますよ。
綾子 一日中ふかすんでしょ?
 せめて葉巻にでも替えてくれりゃ、アート・バックウォルドか、はたまたオーソン・ウェルズか、ておだてられるんだけど。
綾子 まるで歩く煙突よね。
 そうそう。おまけに、同じ口から「ふぬけた文章だぜ。拝みたくなる」なんて言われる。
綾子 で、何時戻ってくるの? その鬼編集長さんは?
 さっき羽田から電話あったから、夕方、5時か6時くらいですよ。
綾子 じゃ、その頃また来ようかしら。よろしくね。(と、立ち上がる)
 (慌てて)ああ、名前教えて下さい。
綾子 まだ言ってなかった?
 僕の方は、自己紹介する必要なかった。
綾子 イヴよ。
綾子、ドアに向かって歩き出す。
明、思わず綾子の魅力的な長い脚に目を奪われる。

 イヴ?
綾子 (ドアの前で振り返る)クリスマス・イヴに生まれたからイヴ。小さい頃からそう呼ばれてたわ。
 素敵な名前ですね。
綾子 ありがとう。じゃあ、ごきげんよう。
 ……さようなら。
綾子、ドアの外に消える。
明はその様子をボーっと眺めている。そしておもむろに、テーブルの上の写真立てを手に取る。

 (観客に向かって独白する)へえ、驚いたな。信じられないよ。彼女が君の知り合いだなんて。だってそうだろう? 僕が2年前に君と別れたとき、もう二度と君みたいな人とはめぐり逢えないって思ってた。そしてその通りになった。君と出会ったことは、人生最大の手柄だったんだ。
ところが、あろうことか、よりによって僕の仕事場に君そっくりの人が飛び込んでくるなんて……おまけに、ソファから立ち上がった脚はカモシカのように長くて、腰をふって歩く後ろ姿は、彼女の語り口や表情と同じくらいセクシーなんだから。
それにしてもどうしてこう気づくのが遅いんだろう。いつだってあとになって気づく。相手の雰囲気とか、見所とか。
この前の新着映画紹介だってそうだった。肝心なのは、ダスティン・ホフマンがフレンチ・トーストをつくるのが下手なんじゃなくて、七つになる息子を残したまま、メリル・ストリープに逃げられたからなんだ。
その上困ったことに、彼女は汚辱的な話が好きだときてる。作家気取りの僕としちゃ、ロマンスばっかり書いてるのは、片手落ちってわけだ。そろそろそんな話に取り組むべき時期なのかもしれない。
明、肩をすくめて、自分のデスクに戻る。
と、幻想場面の照明になり、沈んだ感じのピアノ曲が流れる。
ドアから急ぎ足で幻想の女(綾子)が入ってくる。
女が立ち止まると、明はゆっくりと立ち上がり、女をじっと見つめる。

 やっと気づいたんだ。
 旅に出て?
 旅から帰ってからさ。
 1時間前にフェリーが着いたんでしょ? たった1時間で何に気づくわけ?
 過ちを犯すときが熟した。そういうことさ。
 誰が過ちを犯したの? 私?
 まさか。君には関係ない。
 じゃ、何故あなたは過ちを犯したの?
 ……僕は、君をラブホテルに連れ込もうとした、無理やりに。そうすることによって、君の過去を受け入れようとした。本気でそう出来ると思ってた。ところが実際に僕がやったことは、君をもてあそんだあのパイロットや、ぼくの目の前でレイプしたあの学生たちと、何ら変るところがなかった。僕は、知らず知らずのうちに君を傷つけてたんだ。取り返しのつかないくらいに……。
 これからも過ちを繰り返すの?
 どうかな、先のことなんて。
 ねえ、何故こうやって私があなたに会ってるか、分かってるの?
 分かってるよ。
 ちっとも分かってないわ。突然この街からいなくなって、散々人に心配かけといて、揚句に2ヶ月経っていきなり仕事場に電話かけてきて、私はすっ飛んできたのよ。
 悪かった。
 私がタクシーに乗ってる間、何を思い浮かべてたと思う? 涙をポロポロ流しながらラブホテルの前から駆け出したこと? まさか! 私が思い浮かべたのは、ヨレヨレのブレザーにスラックスを、まるでチャップリンみたいに得意げに着てきたときのあなたよ。あのときあなたは、肩をすくめながら身支度に30分もかかっちゃってね、て遅れてきた言い訳をしたわ。それで私は、慌ててまがったネクタイを直してあげた――。
 でもその日の夜、僕らは襲われたんだ。
 すべてはあのときからやり直せるわ。能天気で間が抜けてたあのときから。そうでしょ?
 無理だ。
 何故無理だと思うの?
 あのときの僕はもういない。戻れやしないさ。
 じゃ、何故この街にいるの?
 何処にいても同じだからさ。
 私を許してないのね。
 めぐり逢わせさ。とんだめぐり逢わせで、僕は以前の僕じゃなくなったんだ。
 私も?
 ……そうかもしれない。
 (溜息をつく)分からないわ。……一体今、私の目の前にいるのは誰? 誰なの?
 かつて能天気で、間が抜けてた男さ。
                         
                                                                 暗転
第2場
3時間後。
編集長の椅子には、本来の編集長である藤岡俊介が座っている。身体は大柄で、人を喰ったようなニヤリとした面構え。その割に服装はカジュアルで、細いネクタイと黒のジャケットがピッタリ決まっている。
今彼は、くわえ煙草で煙をもくもくと上げながら、明の書いた小説の原稿を読んでいる。
従って、デスクの上の灰皿の一つは、すでに吸殻で一杯である。
明は自分の椅子に座り、コーヒーメーカーのしたたる雫を眺めている。少々落ち着きがない。ふいに、俊介を一瞥すると――。

俊介 ふぬけた文章だぜ――。
 拝まなくっていいよ。どう? 感想は?
俊介 ひどすぎて言葉にならん。
 分ったよ。持ってくるよ。

明、コーヒーカップにコーヒーを注ぎ、俊介のデスクまで運んでくる。

俊介 最後のつめが甘いな。先走りだ。
 そうなんだよね。ここ1時間、髪を逆立てて目を血走らせて考えてたんだけどさ――。
俊介 毎度やりとりが村上春樹してるな。
 仕方ないじゃない。あの人だって、ニューヨーカー・スタイルだよ。
俊介 ニューヨーカー・スタイル? お前の小説が?
 気づかなかった?
俊介 てっきり「ブラボー!火星人」かと思った。
 これは汚辱的な話だよ。読ませる前に言ったじゃない。
俊介 純愛小説だろ? お前一流の。
 とにかく汚辱的なの。
俊介 どこが?
 どこがって、男の心理がさ。分からない?
俊介 じゃ、虫眼鏡貸してみろ。
 あのね――分ったよ。
俊介 何が分ったんだ?
 つまり、当初はそんな話にしようって気があったわけ。25の誕生日を迎えたことだし、今までと違った話をさ。でも慣れないじゃない。書いてるうちに、気分の方が次第に汚辱的になっちゃってさ――。
俊介 今日で25になったのか?
 やっとね。「死ぬるにしても生きるにしても、25までに決めよ」てやつさ。
俊介 それで、ふぬけた純愛モノをやめて、ふぬけた汚辱モノか。
 実を言うとさ、その気になったのは、ある美人のお陰でね。脚が長くってセクシーなんだけど、彼女が汚辱的な話が好きだって言ったんだ。美女と汚辱的な話だぜ。参っちゃったよ。もうすぐここに来るけど。
俊介 おい、いつの間に青髭になったんだ?
 違うよ。藤岡さんを訪ねてさ。昼間一度来たんだけど、出直してくるって。
俊介 誰だ?
 名前は聞いてない。その代わり、ニックネームを教えてくれたよ。イヴだって。
俊介 イヴ?
 クリスマス・イヴに生まれたからイヴ。そう言ってた。
俊介 アヤかあ。相変わらずだな。
 又従兄だって?
俊介 又従兄? まあそんなもんだろ。もっとも俺の方は、翌日マホメットが生まれたけどな。
 小さい頃から知ってるわけ?
俊介 生まれる前からな。
 生まれてからは?
俊介 確かあの子が高校1年のときだっけ、初めて口をきいたのは。親戚か誰かの結婚式に来ててさ、まだあどけない顔してたけど。いきなり俺に向かって、堕胎って単語のつづり知ってます? て訊いて来たんだ。お前分かるか?
 アボーション、ABORTION。
俊介 受胎は?
 コンセプション、CONCEPTION
俊介 辞書引きながらニヤニヤしてたな。
 青春の証ですよ。
俊介 でまあ、俺の方は、そんなタイトルの恋愛小説読んだことある、とか言ったら、敵はそれが狙いだったらしい。
 高1でブローティガンを知ってたわけ? 驚いたな。
俊介 おまけに、いつも遊びに来てる優子、あの子がアヤの妹だ。
 本当に?
俊介 (明を真似て)気づかなかった?
 気づくわけないじゃない。二人ともまるっきり雰囲気違うし、だいたい双子の姉妹さえ、並べて見ないとそれだって分からないタチなんだから。
俊介 モデルとカメラマンの見分けもつかないしな。
 あれはカメラの秋山さんがなんとなく似てたからじゃない、昔の彼女に。特に眠たそうな目をしてるところがさ。だからついつい彼女の方に足が向いちゃって――。
俊介 うちの表紙に使えるタイプか?
 知ってるでしょ? モデルの趣味。
俊介 生理用品のCFに出てる子か?
 以前はね。今は「痴漢にご注意」てポスターの女の子。交番に貼ってあるやつ。
俊介 お前のアパートにも貼ってあるだろ。「赤信号、みんなで歩けば怖くない」「いざというときの強制保険」
 「ボーナスは、迷わず残らず富士銀行」
俊介 行き着くところは、昔の彼女か。
 まあ、いいじゃない。
俊介 それにしても突然アヤが訪ねて来るなんて、どういう風の吹き回しだ。
 もうすぐ卒業だって言ってた。
俊介 22でか?
 まともに単位を取れば、その歳で卒業だよ。
俊介 お前、25だったよな。
 まともに勉強さえすれば、藤岡さんの厄介にならなかったさ。
俊介 他に何言ってた?
 「シティ文芸」は、俊ちゃんの道楽よ。
俊介 ほう。今度はそんなこと言い出したか。まあアヤらしいか。3年前なんか、俺が書いた創刊趣意書にケチつけてきてな――。
 「ニューヨーカー」から半分借用したやつ?
俊介 あれ読みながら、名案が浮かんだって言うんだ。是非これを加えてくれって。何だと思うか? 「シティ文芸」は、都会の読者の必要悪となるだろう。
 すました顔で言ったんじゃない? 髪をかき上げたりしながら。
俊介 よく分かったな。
 美人ってのは、小説のネタの宝庫ですよ。見逃すわけないじゃない。
俊介 それからこんなことも言ってたな。毎号短編小説を掲載する。ただし、汚辱的な話は避ける。
 まさか。でも25年間生きてきて良かったよ、あんな魅力的な人にめぐり逢えるなんて。
俊介 アヤのことか?
 当たり前だよ。脚が長くってセクシーで美人で、おまけに優子ちゃんの姉さんとくりゃ、どうしたって傾かざるを得ない。
俊介 傾くって、どういうことだ?
 まあ実を言うとさ、彼女にかなり気があったんだ。
俊介 優子にか? 何時から脳膜炎にかかったんだ?
 ピーンときたのは、引越しのときかな。
俊介 半年前から? 知らなかったな。
 藤岡さんが知るわけないじゃない。遊びに来てるときは、おくびにも出さなかったんだから。
俊介 外でモーションかけたのか? カレーショップかなんかで?
 まず電話かけたわけよ。彼女映画に目がないから、ダスティン・ホフマンの新作の試写会があるけど、一緒に行かないかって。そしたら――。
俊介 ちょっと待て。その試写会、ほんの1ヶ月前だろ?
 5ヶ月間は潜伏期間だったの。
俊介 その間ふられたのは、予行演習だったわけか?
 まだ優子ちゃんにふられたとは言ってないじゃない。とにかく試写会デートはすんなりOKもらって、珍しくネクタイなんか締めて出てきたわけよ――。
俊介 ほう、幸先いいと、不可能なことがないんだ?
 ところが映画館で舞い上がっちゃってさ、隣で彼女の横顔ばっかり盗み見しててさ、これが妙に色っぽいわけよ、普段と違って。で、ろくにスクリーンの方を見てなくって――。
俊介 道理でお前の紹介記事、ドタバタ喜劇かと思った。
 ごもっとも。まあ彼女にもしっかりバカにされちゃってさ、どうしてダスティン・ホフマンが下手なフレンチ・トーストつくるのばっかり強調して、女の自立にふれないわけ?
俊介 そんな話題が好きなんだ、あの子は。「女と自由と愛」を読んで以来な。
 だからさ。汚名挽回とばかり、今度は新作の短編小説を読んで欲しいって渡したわけ。「アパートの鍵探します」てタイトルのやつをね。
俊介 少年探偵小説か?
 ある平凡なOLの話さ。主人公が会社の上司と恋仲でさ、ある日、週末を過ごす過ごさないで喧嘩別れして、その男の部下で、前から彼女に気があった男と一緒に芝居を観に行くんだ。「欲望という名の電車」だけど。で、男はどうして急にデートOKしてくれたのかって訊くと、彼女は、エレベーターとフロアの隙間に落っことしたアパートの鍵を探し出してくれたからよ、て答えるんだ。
俊介 優子は気に入らなかったんだろ? その話。
 らしいね。とにかく彼女の返事がひどかったよ。あなたは何のために作品書いてるの? 女の子にもてないからって。
俊介 そりゃ手厳しい。
 でもここにいるときは、凄く愛想いいじゃない、新人歌手みたいに。だからまんざら嫌われてるわけでもないな、て思ってさ。
俊介 またアプローチしたのか?
 当たり前だよ。素人じゃないんだから。
俊介 ダイアン・キートンには程遠いんだぞ、あの子は。
 分かってるさ。とにかく3度目の正直てんで、藤岡さんを空港に見送りに行った帰りに、ディスコの割引券があるけど一緒に行かないって誘ったわけよ。そしたら今から友だちと会う約束があるからって断るんで、じゃあまとめて面倒見るとか言ったら、ぞろぞろ3人もついて来ちゃって、ひでえ出費だったな。
俊介 おい、あれからステーション回りじゃなかったのか?
 翌日2日分回りましたよ、二日酔いのままで。
俊介 俺がいないと思って、手を抜いたな。
 冗談じゃない。知ってるでしょ? ふられる度に、仕事に磨きがかかるって。
俊介 優子で5人目か?
 4人目だよ。
俊介 そのふぬけた結末はどうなったんだ?
 ディスコじゃ、女の子に負けじとギンギンに踊りまくるし、優子ちゃんをそれこそ女王様みたいに褒めまくってさ、やっとこマンハッタンズのバラードがかかって、彼女をチークダンスに誘ったわけよ。
俊介 そこでふられたか?
 いや、上手くいったよ。かなりいいムードで踊り始めてさ、彼女の柔らかい感触がこう、ブランデーを一気飲みしたときみたいにしみてきたりしてさ。よし、ここらで一発口説き文句を言わなきゃって思ってさ――。
俊介 何て言ったんだ?
 平凡なことさ。彼女の耳元で、前から好きだった、てそう言ったんだ。我ながら芸がないけどさ。そしたら何て言われたと思う? すました顔してさ。間に合ってるわ、だって。(頭に手を当て)もうすっかり毛が抜けちゃったよ。
俊介 それで二日酔いか?
 ブランデーのがぶ飲みですよ。ついでにチョコレートも食べ過ぎてさ。お陰で、ここんところ、キャベツかじりながらバーボンばっかし――そういや彼女、かなりいける方かな?
俊介 優子か?
 違うよ。美人の方。アヤさんだよ。
俊介 バーボン好きかどうか知らんけど、結構ハシゴするから、ツワモノじゃないのか。
 そりゃ「お楽しみはこれからだ!」。(ひとり悦に入る)
俊介 ……おい、何考えてんだ? 小説のディテールか?
 まあね。例えば彼女がさ。(ソファに腰を下ろす)地下鉄に乗ってたとする。あっさりした淡い黄色のドレスを着て、化粧なんかほとんどしてない。
俊介 そんなイデタチだったのか?
 ブルーじゃなかったかな。で、シルバーシートに腰を下ろして、すらりとした長い脚を組んで、何か本を読んでる。何だと思う? 原書でサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」を読んでるんだ。周りの男たちは、まるでスペースシャトルの打ち上げのときのように、その様子をじっと見てる。すると急に、彼女が開いてたページの上に、西陽が差してくる。地下鉄がちょうど地上の駅に出るわけだ。彼女は顔を上げ、本を閉じる。ドアが開くとホームに出る。そしてちょっとセクシーに腰を振りながら歩いていく。スカートのポケットに思い切り手を突っ込んで、モデルみたいにさ。それから僕は、急ぎ足で彼女を追いかけ、こう誘うんだ。少し早いけど、バーボン付き合いませんか?
俊介 (うんざりした声で)それで終わりか?
 続ける?
俊介 もう沢山だ。ふぬけた空想は。
 「人生に必要なのは、勇気と想像力と少しのお金だ」てね。
俊介 誰が言った?
 チャールズ・チャップリン。「ライムライト」で。
俊介 それで金と勇気がないばっかりに、破竹の勢いでふられるってわけか?
 困っちゃうんだよ。想像力が出しゃばり過ぎて。
俊介 優子の相手、誰だか知ってんのか?
 半魚人だろ?
俊介 本当に知らないのか?
 どうせ一山10セントって手合いでしょ? 金と勇気だけはある。
俊介 実は俺だ。
 まさか。からかわないでよ。とにかく僕としちゃ、優子ちゃんとチークダンス踊れただけで上出来だよ。かなり点が甘いけどね。
ドアがスーッと開き、綾子が顔を出す。
二人ともまったく気づかない。

 それよりも何よりも、アヤさんの方がずっと魅力的だよ。25年間生きてきた甲斐があったってもんよ、本当に。
俊介 アヤも間に合ってるかもしれんぞ。
綾子 (だしぬけに)間に合ってないかもね。
明と俊介、驚き、声の方を向く。
綾子がニッコリ笑って、ドアの前に立っている。
明は驚きのあまり、足がガタガタ震え出す。

俊介 おう、久しぶりだな。
綾子 元気そうね。(二人に歩み寄りながら)前より痩せたんじゃない? ジャズダンスでも始めたの?
俊介 ここの家賃がバカ高いからさ。
綾子 そんなに高いの?
俊介 2ヶ月滞納すりゃ新車が買える。(明をチラッと見る)おまけに、ふぬけた純愛小説書くやつ、抱え込んじゃってさ。
 (緊張気味に)どうもご無沙汰してます。
綾子 本名がバレタみたいね。
 僕も、何かヤバイこと、バレタみたいですね。
綾子 らしいわね。
俊介 昼間、偵察に来たそうだな。どんな魂胆なんだ?
綾子 あら、俊ちゃんこそ、東京くんだりまで遊びに行ったりして。連絡してくれればベンツで迎えに来たのに。何時行ったの?
俊介 今月の頭だ。
綾子 気が合ってる。見事にすれ違いだわ。で、何しに行ったの? 私がいない間。
俊介 アヤの下着を盗みに行った。
綾子 どうやって盗んだわけ?
俊介 朝5時に起きて、ジョギングスタイルに着替えるだろ。それから公営団地をひとしきり回って、明け方すばやくベランダによじ登るんだ。縄梯子使って8階まで。
綾子 よく8階だと憶えてたわね。
俊介 子供の頃からの夢だろ? 8階のベランダから、隣りの火事を眺めたいって。
綾子 なかなかいいわ。で、何かインパクトあったの?
俊介 何の?
綾子 うちのベランダから。
俊介 どいつもこいつもナルシストばっかしだ。
綾子 言えてるわね。絶望的だと思う?
俊介 お話にならないね。まあほとんど予想通りではあったがな。
 じゃ、ひょっとして契約はダメだったわけ?
綾子 契約って、何の契約?
俊介 初めからその気はなかったさ。とにかくアヤも知ってる東京の大手タウン誌から話があったんだ。全国的にネットワーク広げたいから、お宅もその一環として働いてくれないかって。編集方針については、最大限に譲歩するとか言ってさ。
綾子 話がうま過ぎたんじゃない?
俊介 だからそれは予想通りだったのさ。それより、骨のある話ができるかと期待してたんだがな。まったく大勢順応って言うか、タウン誌を何だと思ってるんだ! 百貨店のカタログか?
 それで派手に喧嘩してきたんでしょ?
俊介 当たり前だ。あの連中はな、都会のためのいい情報を紹介しようって気がまったくないんだ。読者が百姓のせがれだろうと何だろうと、ばら撒いとけばいいと思ってるのさ、農薬散布みたいに。
綾子 でも街自体が大きいし、混沌としてるからじゃない?
俊介 だから遊びの精神ってのが必要なんだ。都会精神と言ってもいい。つまり、我々は都会で生活してる。日常性を愛さなくちゃいけない。ドラマチックなものとかヒロイックなものより、さり気なさの方を大切にしなくちゃいけない。そういうものこそ、映画とか音楽とか、いろんな散文を通して、積極的に紹介していくべきだ。
綾子 もちろんそうよ。でもそれはマニアックな感覚じゃないかしら。
俊介 マニアックのどこが悪い?
綾子 悪いって言ってないじゃない。ただ、彼らだって食わなくちゃいけないわけでしょ。ポリシーなんか捨てて、そういったマニアックなものを東京中からかき集めてきて、ばら撒いてるだけなのよ。
俊介 分かった風なこと言うな。サーカスに売り飛ばすぞ。
綾子 でもホッとしたわ。相変わらずだから。
 でしょ? 僕なんか毎日この調子でやられてるんですよ。奥さまはマゾって感じで。
綾子 おまけに、相変わらず読者が増えないんでしょ?
 そうなんですよ。増えてるのは、藤岡さんの煙草の量とボヤキだけ。
俊介 お前は、酒の量とふられた女の数だろ。
 あとは、バクチやって借金増やせば満点でしょ?
綾子 ねえ、さっき私の方が魅力的だって聞こえたけど、誰より魅力的なの?
 え?
綾子 誰より魅力があるの? 聞きたいわ。
 それはつまり、僕の好きなダイアン・キートンって意味なんですけどね。彼女の映画見たことあります?
綾子 一つだけあるわ。「インテリア」だったかしら。
 そりゃよかった。
綾子 確か、子持ちの詩人だったわよね。旦那は売れない作家で。
 そう。そうなんですよ。売れないけど、彼女だけは才能を信じてるって役どころで。でまあ、何でもいいけど、僕は、彼女がでっかいスクリーンに映るでしょ。すると、十字架に架けられたみたいに、コロッと参っちゃうんですよ。
綾子 いちいち参っちゃうわけ? 映るたんびに。
 映画館出るとき、ぐったりですよ。
俊介 今もぐったりしてるぞ。
 そうなんだよ。実を言うと、今日で25になったんですけどね。これがまさにぐったりものって言うか、大変な年齢なんですよ。
俊介 悪霊でもとりつくのか?
 確かな筋なんだけど、男の25ってのは、彼の将来を垣間見る絶好の時期らしいんですよ。一挙手一投足が将来の彼自身を紡ぎだしてるって。だからこの時期に何をやってたかで、将来が決定されるってわけですよ。
綾子 どうして決定されるの? 確証があるわけ?
 そりゃ藤岡さんを見れば分かるでしょ。2年前と変わったところあると思います? 絶望的でしょ?
綾子 (俊介を眺めながら)そう言われれば、2年前と瓜二つだわね。人なつっこい瞳といい、愛らしい口元といい、相変わらずずんぐりむっくりだし――。
俊介 口が悪いぞ。
綾子 でもちょっと小奇麗になったかしら。まともにコーディネートしてるし、誰に服を選んでもらったの?
俊介 俺には専属のスタイリストがいるの。
綾子 誰? 私生活でもスタイリストなわけ?
俊介 おい明、コーヒー入れてこい。アヤの分もな。
綾子 あら、気乗りしないとすぐコーヒーなんだから。誰なの?
俊介 アメリカンでいいだろ? 明!
 分かったよ。(と、コーヒーメーカーのところに行く)
綾子 何もったいつけてんの?
俊介 俺はな、アヤのそんなところが気に入ってるんだ。ストレートにものを言うところがさ。
綾子 25になっても変わらないと思うわ。
俊介 だろうな。いいか、このコーディネートは俺がやったんだ。プロになれるだろ?
綾子 へえ。(俊介をまじまじと見る)信じられないわ。
俊介 ぐるっと一回りしてみるか?
綾子 結構。バーベキューは外でやるものよ。
明、3人分のコーヒーを持ってくる。
綾子 (受け取る)ありがとう。それはそうと、あなたの場合は?
明 (俊介に渡す)僕?
綾子 25になったあなたは何をしてるの?
 僕はまず、ずんぐりむっくりの先輩の提灯持ちやってるから、おそらく将来もやってるだろうし、汚辱的な短編小説書き出したから、そのまま突っ走るかな。それに、この時期に参っちゃった女性とは、腐れ縁が続くんですよ。
綾子 何か似たり寄ったりね。
 僕らがですか?
綾子 ちょっと手直しすれば、お互いに当てはまるんじゃないかしら。体型なんかブルース・ブラザースだし。
 気色悪いな。
綾子 あら、悪くないわよ。黒のハットに、黒のサングラスして、黒の上下を着て。あとは、R&B歌えれば最高よ。
 そりゃいいや。実を言うと、高校のときから夢だったんですよ。R&Bとかソウル・バラードを歌うのが。
俊介 それも決まって失恋の歌だろ?
 まあね。で特に、多重コーラスをバックにして、語りから始まるやつが好きでね。当時、「シカゴの灯」て名のコーラス・グループがいて、そのグループのヒット曲を、辞書片手に訳したことがあるんですよ。
綾子 今でも憶えてるの?
 もちろん。
綾子 じゃ、聴きたいわ。
 え! 失恋の歌ですよ。
綾子 得意なんでしょ?
 そりゃまあそうだけど、バックコーラスないし、黒のサングラスもないし――。
俊介 それだったらあるぞ。(と、引き出しの中からサングラスを取り出し、明にむんずと渡す)ほら、やってみろ。
 参ったなあ。

明、戸惑いながらもサングラスをかけ、窓の方に向かっておもむろに語り出す。

明 (語りの合間にメロディの入ったスキャットを入れる)「一月前までは、ひばりのように幸福だったのに、今じゃ独りで映画に行き、公園へ行く……僕は同じベンチに座って、子供たちが遊ぶのを見ている……子供たちは僕の名前を知っていて、集まってくる……冗談を言い合って笑うけれど、傷は癒されない……僕は想い出から逃れられず、来る日も来る日も彼女が戻って来ると言い続けている……そして今日もウソをついてしまった」(照れくさそうに)それから歌が始まるんだ。「彼女に会わなかったかい?」その繰り返し、えんえんとバカみたいに……。

綾子 でもなかなかよかったわ。心情がこもっていて。
 ほんと? 嬉しいなあ。
俊介 ところでアヤ、今日わざわざ何しに来たんだ? ふぬけた朗読を聴きに来たわけじゃないだろ?
綾子 そうね、そうだったわ。
俊介 スリーサイズでも計ってもらいに来たか?
綾子 知ってるくせに。
俊介 まあ目分量したところじゃ、細胞分裂の偏りが激しいみたいだから――。
綾子 何て言うのかしら、万事が滅茶苦茶になったって言うか、とにかくいやんなっちゃったのよ。今年に入ってからっていうもの。ずっとその調子なの。
俊介 どうしたんだ?
綾子 とは言ってもね、それまで――去年なんか特に順調そのものだったのよ。就職はすんなり広告代理店に決まっちゃうし、卒論もこれまた難なくクリアしちゃうし、その間を通じて彼とはとってもいい仲だったし――私の誕生日まではね。
 どんな仲だったんですか?
綾子 え? ああ、とってもいい仲だったってこと?
 そうです。
綾子 何て言うのかしら。二人ともふざけると、背中を向け合っちゃうわけよ。それで胸のボタンを外したりするの。
 はあ、なるほど。
綾子 それで思い出したけど、付き合いだした頃って、彼がまだ学生だったんだけど、紀伊国屋かなんか行って、ハードコアのポルノ小説を買ってくるのよ。それで日曜日なんか私を呼び出しといて、公園のベンチでわざと声を出して読み出したりするの。どうせ英語なんだから周りの連中に分かりっこないとか言って、結構感じ出したりして――。
俊介 昔、俺やらなかったか?
綾子 憶えてないわ。でも彼の友だち連中ってのが面白いのよ。まさにエキセントリック集団とでも言うのかしら。パーティかなんかでね、テキヤの前口上をえんえんとやる人がいたり、片方が酔っ払いのふりして相棒にからんだりとか、それが真に迫ってるもんだから周りを騒然とさせたりして――。
 僕も時々やりますよ。「(俊介の真似して)タウン誌を何だと思ってんだ。百貨店のカタログか!」
綾子 あら、似てる。
俊介 ついでに煙草もやってみろ。ほら! (と、煙草を明の口に押し付ける)
明、飛びあがって後ずさりする。
 ダメだよ、藤岡さん。想像力が減退する。
俊介 もう減退してるだろ、ひたいの方は。
 悪魔と取り引きしたの。想像力の代わりに髪の毛は諦めるって。
綾子 天は二物を与えずってとこね。
俊介 こいつはまだ何もモノになってないぞ。
 そうハッキリ断言しないでよ。で、他にどんなことやらかすんです?
綾子 ああ、そのエキセントリック集団? とにかくいろんな物真似やるわね。言い出したらキリがないわ。それでよく彼らに言われたわ。君の人気の秘密は何だと思う? それは、呼び出されたら夜中でもホイホイ車でやって来て、介抱してくれるからだって。だからみんなついつい調子に乗ってふざけたがるって。おまけに、君のスピード運転は最高にスリルだって――。
明 そんなに凄い運転するんですか?
綾子 一度トラックにぶつけそうになったのよ、スピード出し過ぎて。流石にみんな酔いが醒めたみたい。
俊介 それで今年は事故起こしたのか?
綾子 違うわよ。事故になったのは、私と彼の間だけ。つまり、彼が結婚してくれって言い出したのよ。
 そりゃ大変だ。大変な事故ですよ。
俊介 何色めき立ってんだ。
綾子 プロポーズだけなら、すんなりOKしたかもしれないけど、どうせ2,3年しか働かないんなら、就職なんか初めからするなってきたのよ。なんか急に私をがんじがらめにして、独占しようって気になったのよ。
俊介 どんな仕事してんだ?
綾子 普通の商社よ。中堅どころの。
俊介 他の連中が横恋慕したんじゃないのか?
綾子 残念ながらそれはナシ。彼らって意外と義理堅いのよ。ねえ、男ってどうしてちょっと出世すると、女に対して強引になるのかしら。
俊介 出世したのか?
綾子 まったく呆れちゃうわ。彼に言わせるとね、彼って25だけど、この歳で大抜擢になりそうだなんて言うのよ、まだ決まったわけじゃないのに。
俊介 ふっちまえよ。そんな薄っぺらいやつ。明の説だと、アヤがふっちまえば、そいつは当分の間、女難の道を歩むはずだぞ。
 保障しますよ。
綾子 でもね、そう簡単に解決できることじゃないのよ。彼がプロポーズしたってことは、単なるきっかけに過ぎないの。
俊介 ポケットベルで呼び出されるのか?
綾子 呼び出したのは私自身。
俊介 どういう意味だ?
綾子 つまり、本来の私が今の私に向かって呼び出しをかけてきたのよ。そしてこう言ったの。あなたは今まであまりにも自分自身をはぐらかしてきたわ。もうウヤムヤにはできないわよって。
俊介 本性に目覚めたわけだ。
綾子 そうじゃないわ。今でも自分のことがちっとも分かってないわ。ただ、それまで結婚や仕事のこと、卒業することに対して真剣に考えたことがなかったのよ。それが分かったの。
俊介
 で、考えたのか?
綾子 不安になったわ。
俊介 だろうな。そういうもんだ。
綾子 ねえ、今の私に何が残ってるのかしら? 私らしさってあるのかしら?
俊介 今まででも十分口が悪いぞ。
綾子 何だか随分いろんなものをなくしたような気がするわ。何をなくしたかって訊かれても答えられないんだけど。
俊介 残り物にも福があるさ。
 なくしたものはとり返せないかもしれないけど、何かをやり続けてる限り、なくすものは少ないんじゃないかな。あとはエネルギーを補給すればいいわけだし。
綾子 どうやって補給するわけ?
 そりゃやっぱし、めくるめくロマンスに身を焦がしたりして――。
俊介 何ふぬけたこと言ってるんだ。お前の純愛小説じゃないんだぞ。
 純愛こそエネルギーの源だよ。
綾子 そうかもね。
明 (得意げに)そう思うでしょ? バッチリですよ。
綾子 でも何だか面倒臭くなっちゃった。(明、ガクリとくる)結婚も仕事も放り出しちゃって、こっちに戻って来ようかしら。
俊介 アヤ! 気持は決まってんだろ?
綾子 え?(とぼける)
俊介 隠したって無駄だ。
綾子 そうね。だいたいね。
俊介 じゃあ、あとは酒飲んでパーッとやるしかない。
綾子 (ニッコリ笑う)ええ、その通り。ねえ、今日は松本君の25歳の誕生日でしょ? 盛大にお祝いしましょうよ。
俊介 そんな必要ない。図に乗るだけだ。
 本気ですか?
綾子 強いんでしょ?
 どうして分かるんです?
綾子 だって分かるわ。それに今日の飲みっぷりで、将来アル中になるか予想できるし。
 参ったなあ。
俊介 仕方ない。今夜は俺が面倒見るか。
 だから藤岡さんとは縁が切れないんですよ。(ニッと笑う)                                        
                                                            ―幕―                                 
                                                            (第2幕に続く)
インテリア・ロマンス 1980 第ニ幕

● 引用した映画
「アパートの鍵貸します」(監督:ビリー・ワイルダー)
      アメリカ映画 1960年製作 原題:The Apartment

「アニー・ホール」(監督:ウディ・アレン)
      アメリカ映画 1977年製作 原題:Annie Hall

「チャイコフスキー」(監督:イーゴリ・タランキン)
      ソ連映画 1970年製作 英題:Tchaikovsky

「クレイマー、クレイマー」(監督:ロバート・ベントン)
      アメリカ映画 1979年製作 原題:Kramer VS. Kramer

「ライムライト」(監督:チャールズ・チャップリン)
      アメリカ映画 1952年製作 原題:Limelight

「インテリア」(監督:ウディ・アレン)
      アメリカ映画 1978年製作 原題:Interirs


「ブルース・ブラザース」(監督:ジョン・ランディス)

      アメリカ映画 1980年製作 原題:The Blues Brothers

● 引用した書籍
「ナイン・ストーリーズ」(J・D・サリンジャー著)

「ガープの世界」(ジョン・アービング著)

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