花は 花は はつ恋の花は咲く。

Lily of the valley
Lily of the valley / Ernst Vikne

花は 花は はつ恋の花は咲く。
introducing 「天城越え」「野菊の如き君なりき」
君は笑うかもしれないけれど、君との想い出は僕が失ったもののすべてだ。
シネワンおかかえの三文文士が、こんな文を書いたことがある。
かつて僕は、君と一緒にいるだけで満足だった。
喫茶店のテーブルに差し込んでくるやわらかい陽射しもコーヒーの香りもユーミンの歌声も、君のお陰でキラキラ輝いていた。
夏の抜けるような青空も落ち葉を踏み歩く足音も君の黒髪にすずらんのように咲いた小雪も、君のお陰で季節を感じることができた。
僕は君と夢中に喋りながら、ふと気がつくと君の目をじっと見つめていた。あんなに素直に人を見つめられるなんて初めてだった。
君が目を伏せなければ、いつまでもそうしていたにちがいない。
一人のときでさえ、いつの間にか君のことを考えていた。そして君の少女時代を想像した。たまらなくいとおしい気持になった。
僕は心の中でつぶやいた。もっと小さい頃から君を知っていたなら、どんなに素晴らしかっただろう。
ハイホー、マンハッタン坂本です。


渡し舟に乗った老人(笠智衆)が故郷に帰って来る。かつて生まれ育った実家は、村一番の田畑を持つ斉藤家で、今は広すぎて住む人もなくお化け屋敷と言われている。
病弱な伯母(杉村春子)の世話をするため、いつものように渡し舟に乗って民子(有田紀子)がやって来る。嬉しそうに手をふって迎えるのは、斉藤家の次男坊・政夫(田中晋二)である。
政夫は二つ年上で17歳の民子と幼い頃からの仲良しで、来年(旧制)中学へ進学する歳になっても未だにじゃれ合っている。
民子と政夫があまりに仲がいいので、奉公人たちはやっかみ半分に二人を冷やかす。義理の姉は何かと意地悪をする。村人たちは、二人を見つけるとはやし立てる。
その度に、二人は落ち込んだり、口をきかなくなったり、開き直ってはしゃいだりする。
伯母はそれを気遣い、別々に用を言いつけ、二人だけにしてやる。
ある日、綿積みに二人が遠くの山へ出かけると、一面に野菊やりんどうの花が咲いている。政夫さんってりんどうの花のような人、民さんって野菊のような人、とお互いに臆面もなく言い合う。
夜遅く戻った政夫は、早めに中学の寮に行くよう母親から言い渡される。矢切りの渡しで民子と別れる。
中学の冬休みに帰ると、民子は実家に帰されている。
縁談が持ち上がり、泣きながら拒む民子を説得するため、伯母が民子の実家に来る。二人の仲を誰よりも知っているが、政夫とは一緒にできないと言って思い切らせる。
よろしくお願いします、と民子は家族の前で力なく頭を下げる。
「死んだおじいさんと一緒になれたときくらい、嬉しいことなかった。それだけでも、この世に出てきて良かったと思っとるわ」
民子を哀れに思う祖母(浦辺粂子)だけがじみじみとそう言う。
やがて民子は嫁入りをする。だが流産して、実家に帰される。
すでに生きる気力のない民子は、あっさり息を引き取る。
亡がらを見ると、紅絹の切れを握った左手を胸に乗せている。それを開くと、出発前に政夫から渡された手紙とりんどうの花が包んである。
何もかも終わったあと、政夫はすべてを知る。「野菊の如き君なりき」
   (注釈1)
Wild chrysanthemum
Wild chrysanthemum / Colin ZHU

小野寺建造(平幹二朗)は、「伊豆の踊り子」のように「天城越え」をしたことがある。
だが川端康成の小説とはかなり違う。彼は高等学校の学生ではなく、鍛冶屋のせがれで、尋常小学校高等科1年生の14歳である。学生帽に制服姿だったが、6月末で暑いのでゴム裏草履をはいている。
下田から登り、天城のトンネルを抜け、静岡にいる兄の奉公先に行くつもりだ。
途中、菓子屋(坂上二郎)と道づれになる。呉服屋(柄本明)と一緒のとき、大男の土工(どこう)と擦れ違う。あんな輩は気をつけた方がいいと言われる。修善寺まで一緒のはずが、途中で一人にされる。
陽も傾き、心細くなった頃、裸足で歩く若い姉さん(田中裕子)と出くわす。
腰を下ろしていた健造は、反対側へ向う彼女の後を追う。兄さんはどこへ行くのと彼女に尋ねられ、思わず下田と答える。
「あたしはハナ、咲いた咲いたのハナ」
頭に白い手ぬぐいをかぶった女郎姿の彼女がそう名乗る。
足から血が出ているのを見つけ、ハナが怪我の部分を丁寧に拭いてくれる。手ぬぐいを裂いてつくった包帯を母趾(ぼし)に巻いてくれる。
建造少年は、彼女のうなじから背中をうっとりと眺める。いきなり股間を触られ、ハナがニッコリ笑う。
裸足の方が気持ちいいわよと言われ、草履を脱いで歩く。
だが夢見心地の時間はあっという間に過ぎる。
先に行って、とふいに彼女が言う。前方をよたよたと土工が歩いており、あの人と話があるからと背中を押される。
ハナと再会したとき、彼女は黒縄で縛られている。土工殺しの容疑者として捕まったのだ。
下田署で面通しをされる。兄さん、助けて、と訴えるハナの前で、トンネルの前で別れたとだけ証言する。
大雨の中、取調べが終わった彼女が署から出てくる。
建造は、その姿を悲痛な面持ちで見守る。ハナはほんの少しだけ微笑み、さよならとつぶやく。
それが最後だった。
それから40年以上の年月が経ち、彼女の取調べをした田島刑事(渡瀬恒彦)が目の前に現れる。
その後自白を翻したハナは、証拠不十分で無罪になったが、まもなく肺炎で命を落とした、と知らされる。
ショックで建造は血を吐く。
あのとき、何度も何度も短刀でめった刺しにしたからだ。安宿の主人からめぐんでもらった1円で、ハナと情交した土工を許せなかったからだ。
   (注釈2)

わたしは愛をいくらか経験した。すくなくとも、経験したと思っている。もっとも、わたしがいちばん好きな愛は、“ありふれた親切”ということで、あっさり説明できそうだ。短い期間でも、非常に長い期間でもいい、わたしがだれかを大切に扱い、そして相手もわたしを大切に扱ってくれた、というようなこと。愛は、必ずしもこれと関わりを持つとは限らない。
愛はどこにでも見つかる。それを探しにでかけることは愚かなことだと思うし、また、有害になることも多いと思う。
そうカート・ヴォネガットは書いている。
   (注釈3)
同感である。僕らは「愛」を特別扱いしすぎる。
想像して欲しい。「愛」を裏返すと、「憎しみ」という感情が出てくる。なんとも厄介だ。
愛することは、短い期間だろうと、非常に長い期間だろうと、他人の命や自分の命を奪うことだってある。
ならば、「ありふれた親切」の方がいいかもしれない。
裏返しても、「めったにない不親切」で済む。
注釈1、「野菊の如き君なりき」(監督:木下恵介)
      日本映画 1955年製作
      原作:伊藤左千夫

      メーカー:松竹
      メディア:DVD

注釈2、「天城越え」(監督:三村晴彦)
      日本映画 1983年製作
      原作:松本清張
      モントリオール世界映画祭主演女優賞受賞
      ブルーリボン賞主演女優賞受賞

      メーカー:松竹
      メディア:DVD
注釈3、「スラップスティック」(著者:カート・ヴォネガット)

      出版社:早川書房
      メディア:文庫本

関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。