インテリア・ロマンス 1980 第二幕

Dear マンハッタン
なかに入って――
戯曲を読んでいてくれ――
それは居間の
テーブルの上にある。
ぼくは2週間
ほどで
戻って来る
亮
すでに第一幕を公開している「インテリア・ロマンス 1980」は、こんな感じで僕に献辞された。
これは、リチャード・ブローティガンの小説「愛のゆくえ」(原題:The Abortion)の献辞をほとんどコピーしただけである。しかもこの小説のサブ・タイトルは、「ある歴史的ロマンス 1966」(原題:An Historical Romance 1966)。
まるっきりパクッて戯曲のタイトルにしている。「インテリア」にしたって、ウディ・アレン映画のタイトルだ。
従って、シネワンで第二幕を公開するにあたって、この献辞をそのまま流用する。
一定のメドがついたら――どこかの首相みたいに曖昧だと顰蹙を買うので、7月1日までには戻って来るつもりだ。
マンハッタン
インテリア・ロマンス 1980 第二幕 作:坂本 亮
登場人物 松本 明 (25歳)
藤岡俊介 (27歳)
西園優子 (20歳)
★
西園綾子 (22歳)
松本玲子 (20歳)
短編小説の女たち(4名)
以上、一人6役
第一場 西園家のリビング・ルーム、10時過ぎ
第二場 同、20分後
第一場
西園家のリビング・ルーム。山の手の一軒家。
客席の方は、広い庭園が見渡せるテラスへと続いている。部屋全体は淡いクリーム色の壁に囲まれており、いかにも中流家庭といった趣が漂う。
右手に、スタインウェイのピアノがあり、その上の壁にセザンヌの静物画(林檎と洋梨)がかかっている。
ダイニング・ルームにつながる境目の壁には、マントルピース型のセントラルヒーティングがある。
中央壁面には、造りつけの大きな本棚が二つ並び、その中に整然と原書や百科事典がある。
左手は、奥にドア、様々なミニチュアが置かれた飾りダンス、外国製の酒やグラスが入ったクローゼットがある。
中央、本棚を背にして、大きなソファがあり、その前に小さなテーブルと洒落たスタンドと「ニューズウィーク」等が入ったマガジンラックがある。
開幕。
その日の夜、10時過ぎ。
明は安楽椅子に座りバーボンのストレートを、俊介はソファにふんぞり返ってスコッチのロックを飲んでいる。
テーブルの上は、当然ことながら吸殻で一杯の灰皿がある。
綾子は、ロック・グラスの入ったスコッチを飲みながらピアノの前まで来る。グラスを上に置くと、ピアノの弾き語りを始める。
綾子 (気持ちよさそうに歌う。歌は松任谷由実の「悲しいほどお天気」)
綾子、歌い終わると、余韻を残すようにピアノを弾き続ける。
その様子をうっとりと見ている明。
俊介はひたすら煙草を吸い続けている。
綾子がいよいよ弾き終わると、明は派手に拍手を送る。
綾子、感極まった表情で、二人の方を振り返る。
明 (拍手しながら)良かった、良かった。とっても良かった。感動しちゃったよ。(少し酔いも手伝って、馴れ馴れしい)ねえ、藤岡さん? やっぱしピアノの弾き語りって最高だね。参っちゃったよ。
綾子 (ニッコリ笑い)ほんとに良かった?
明 このままタダ聴きして帰ったらバチが当たるよ。
綾子 あとで請求書作っとくわ。私って結構高くつくわよ。
明 金利手数料なしの10回払いにして下さい。
綾子 仕方ないわ、指がおぼつかなかったから。
明 多摩川ソングもいいけど、通りすがり調布ソングも好きだな。
綾子 (口ずさむ)「街の灯が やがてまたたきだす 二人して 流星になったみたい」
明 (突然歌い出す)「中央フリーウェイ!(相当音程が狂っている)右に見える競馬場 左はビール工場」
綾子と俊介、唖然とする。
明 (我に返り)はははっ、まるでウォークマン・シンガーだ。
俊介 それ以下だ。
明 アヤさん、他にレパートリーあるでしょ?
綾子 せいぜい5、6曲かしら。本当に好きな曲しか覚えないから。
明 聴きたいな。
綾子 ここんとこ、「お天気」しか歌う気しないの。そう言えば、25歳のときに作ったんじゃない? ユーミンが。
明 ほんと?
綾子 言葉遊びやらせたら、天才的よね。
明 一体どうやって掘り当てるんだろ。
綾子 辞書よ。辞書めくりながら油田を掘り当てるロックフェラーよ。
明 僕なんか地雷を踏むだけだ。
俊介 明、納豆スパゲッティ食ってみろ。
明 納豆スパゲッティ?
綾子 知らないの? 彼女、名人なのよ。それ食べれば、いい言葉が浮かんでくるかもよ。
明 気色悪い。それより、一念発起してピアノに挑戦したい。
綾子 無理よ。だって私なんか8歳のときからクラシックやってるけど、ユーミン弾くのって金がかかるのよ。
明 金がかかる?
綾子 大変よ。曲変える度に、衣装から照明から振り付けから、全部リセットしなくちゃなんないから。
明 じゃあ諦めて、ハーモニカにしよう。
俊介 進駐軍のキャンプでもまわるのか?
明 「真夜中のカーボーイ」だよ。ダスティン・ホフマンがフロリダ行きのバスの中で、眠るように死んでいくじゃない。あのとき流れてたトゥーツ・シールマンズのハーモニカ。あれは最高だよ。胸にジーンと沁みてきたりしてさ。
綾子 案外似合ってるかもね。ハーモニカ吹きって。
明 アル中になれば、ビブラートしなくて済むし。
綾子 バッチリじゃない。
明 おまけにもう一つ、ご利益あるんですよ。「僕の彼女は火星人」ってタイトルで書くつもりだけど。
綾子 SFなんて書くの?
明 心は誠実なんだけど、アル中のお陰で女の子に逃げられた男の話でね。ある日、酒を買いに行く途中で火星人の女と遭遇する。火星人はすごい美人でとろけるような微笑を浮かべて握手を求めてくる。男はビックリするけど、震える手で握手をする。ところが火星では、禁断症状みたいに手を震わすことは、<ときめき>ていう最大級の愛情表現だったんで、火星人の女はたちどころに男に夢中になる。そしてそのことに気づいた男は、火星の楽園でワイルド・ターキーを飲みながらこうつぶやくんだ。アル中も悪くないってね。
綾子 何かそれ、キルゴア・トラウトが書きそうな話ね。
明 どうして分かったんです? カート・ヴォネガットのパクリだって。
俊介 アル中と言えば、随分オヤジさんとスコッチ飲んでないな、この部屋で。
綾子 かれこれ2年経つんじゃない? その間、部屋も随分様変わりしたし――私、驚いちゃったのよ。正月帰ってきて。
俊介 (見上げる)ポール・デルヴォーの偽物がなくなってる。
綾子 本物よ。優子が気に入って、自分の部屋に飾ってる。
俊介 飾りダンスとクローゼットが入れ替わったな。
綾子 前から俊ちゃんがうるさく言ってたじゃない? やっと実現したってわけ。やっぱししっくりしたわ。
俊介 それにしても写真立ては何処に行ったんだ? バカみたいに沢山置いてたろ。入れ替える途中で失くしたか?
綾子 優子の仕業よ。もう子供じゃないんだから、みっともないとか言ってかたずけちゃったの。
俊介 あれは残して欲しかったな。
綾子 クリスマス・ツリーを囲んで写ってるやつ?
俊介 よくからかったな、あれ見て。
明 どんな写真? 是非見たいな。
俊介 アヤが10歳の誕生日の写真でさ、お袋さんと妹二人で「若草物語」やってんだ。それでご丁寧に同じリボンして同じドレス着てるもんだから、アヤが飛び抜けてブスでさ――。
綾子 生涯唯一の汚点だわね。
俊介 親父さんは気に入ってた。
綾子 私が写ってるのは、何だって良かったのよ。
俊介 自惚れるな。
綾子 あら、ほんとよ。特にあれが気に入ってた。うちのホテルを改装したばっかしのとき、ロビーかなんかでミュージカルの真似やってたじゃない? 私がおニューのドレスなんか着ちゃって、パパの首に腕をまわして、(右腕を大きく広げる)キメのポーズしてたの。
俊介 幸せなのか重たいのか、訳分からん顔してたな、親父さん。
綾子 フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのコンビだって自慢してたわ。
俊介 あの頃はよく飲んでたなあ。
綾子 底ナシだったわよね。
明 アヤさんが?
俊介 俺と親父さんがさ。アヤはまだ高校生だ。俺が英語の家庭教師やった帰りによくここで捕まってさ、スコッチつき合わされた。
綾子 私だって、やれつまみ持って来いとか、氷持って来いとか、散々こき使われたわ。
俊介 幼な妻みないにな。
綾子 でもハタで見てて面白かったわ。訳分かんない議論しながら、いつの間にかボトル空けちゃんだから。
俊介 随分親父さんに影響受けたなあ。とにかくユニークな人でさ、アメリカの雑誌とか新聞とか大統領並みに読んでるし――例のアート・バックウォルドのコラム、あれは親父さんに紹介してもらったんだ。
と、ドアが開き、綾子の妹・優子が入ってくる。
彼女は、派手な刺繍の入ったセーターを着ており、はつらつとしている。
優子 おや、まあ。キッカイなる人たちが来てんのね。
明 やあ、こんばんは。
優子 明日帰るはずじゃなかったの?
俊介 昼間電話したけど、いなかっただろ?
優子 (さり気なく俊介の隣りに座る)うん、そうなの。さっきまで友だちのバンドがライブやってて、メンバーとは久々だったから、リハーサル始まるまでお茶してたの。
明、そそくさと優子用のグラスを取って来、スコッチのロックをつくる。
綾子はその様子を驚き見ている。
明 そのバンド、サウス・スリッカーズじゃない。ギンギンにR&Bやる連中。
優子 知ってるの?
明 当たり前だよ。何年タウン誌の記者やってるって思うの?
優子 たった2年じゃない。
明 そりゃまあそうだけど。で、どうだった? 優子ちゃんの感想としては。(と、言いながらグラスを渡す)
優子 (受け取る)バリカッコよかったわよ。みんなノリノリだったし。「スタンド・バイ・ミー」とか「男が女を愛する時」とか、相変わらず知らない曲ばっかし演ってたけど――ね、地元のバンドじゃないけど、一度取り上げてみない? 絶対売れるから。
俊介 子供の言うことは信用ならんな。
優子 私、20歳と半年になるけど。
俊介 俺のお袋が親父をだました歳だ。
優子 じゃあ、だまされてみてよ。
俊介 副作用あるからな。歯が磨けなくなる。
優子 保障するわよ。彼らってブルース一筋なの、救いがたいくらい。ライフ・スタイルがブルースしてるって言っていいわね。
俊介 随分入れ込んでるな。好きなやつでもいるのか?
優子 私が好きなのは彼らの音楽よ。彼らのカッコ良さよ。それを私の街から発信したいの。
俊介 だまされたと思って、特集組んでもいいけど――。
優子 話が早い。今日帰ること分かってたら――何時帰ったの?
俊介 夕方。
優子 じゃ絶対連れてくるとこだったのに。今まで何してたの?
俊介 スコッチ飲んでた。
優子 夕方から?
俊介 こいつが誕生日とか言い出すもんだから、丁度アヤも来てたし、一緒に飲み歩いてた。
優子 30歳になったの?
明 まだ25だよ。どこが30に見えるの?
優子 頭のてっぺんから足の裏まで、ぜ~んぶ。ひとつ残らず。
明 口が悪い。
綾子 ねえあなた、いつから「シティ文芸」手伝うようになったの?
優子 手伝ってないわよ。
明 邪魔してるだけですよ。
優子 半年前の引越しのときだけかな、編集室の。誰かさんが後生大事にしてるラケット運んだりして。
明 あとは、勝手に押しかけといて、映画の試写会はついて来るし、レコードのサンプルは持ち出すし――。
優子 何だっけ? 「アイ・ラブ・ニューヨーク」演ってたグループ。
明 カシオペア。
優子 あの曲はとっても良かった。気に入ったわ。
明 タダだからね。おまけに、取材手伝ったげるとか言って、さっさと楽屋に遊びに行っちゃうし、要領いいのなんのって、参っちゃうよ。
綾子 へえ、そうなの。
明 昔から要領良かったでしょ? 優子ちゃん。
綾子 ちっとも変ってないわね。譜面通り鍵盤叩かなかったから。
優子 悪かったわね。
明 歌なんか自然とアドリブになったりして?
綾子 小さい頃、毎日のようにコーラスやってたことあってね。アンドリュース・シスターズなんて銘打って――。
明 アンドリュース・シスターズ? 40年代のジャズ・ボーカルの、アーミー・ルックの?
綾子 60年代の「サウンド・オブ・ミュージック」よ。ボヘミアン・ルックのジュリー・アンドリュース。彼女にあやかってつけたの。
明 なるほど。
綾子 でね、テレビの面白い番組がなかったりすると、暇だから誰かが歌い出すわけ。するとつられてみんなでハモるんだけど、どうも合わないわけよ。私はピアノの聴音やってるし、下の妹は合唱部だし、必然的に一人だけ浮いちゃうのよ、困ったことに。
優子 私の声はリード・ボーカル向きなの。バック・コーラスなんて柄じゃないわ。
明 その低い声でリード・ボーカル?
優子 いいじゃない。
明 でも、姉妹みんなでコーラスなんて気持ちいいだろうなあ。やってみて下さいよ。
綾子 今から?
明 是非聴きたいなあ。魅惑のデュエット・コーラス。
俊介 俺も聴きたい。やってみろよ。
綾子 (優子と見合って)どうする?
優子 いいわよ。
綾子、ニッコリ笑うと、おもむろにピアノのキーを叩く。
優子は歌う曲が分かったらしく、立ち上がってピアノのそばへ行く。
綾子、鍵盤の上で指を並べる。伴奏と同時に歌い出す。優子も声をそろえる。
歌は、ミュージカル「ジージャス・クライスト・スーパースター」の「私はイエスがわからない」である。
とろけるようなコーラスになる。二人とも声の調子がいいのか、見合ったまま気持よさそうに歌い続ける。
明と俊介はグラスを手にしたまま口をつけず、うっとりと聴き惚れている。
歌い終わると、明が派手に拍手をする。
明 (拍手しながら)良かった良かった。またまた感動しちゃったな。やっぱしコーラスって最高だね。参っちゃうよ。
綾子 あら、さっきの弾き語りは?
明 あれも最高! 最高と最高だね。
綾子 調子いいのね。
俊介 毎度のことだ。
綾子 でも珍しく上手くいったわね。
優子 (ソファに戻る)いつもなら、つかみ合いの喧嘩だけど。
明 ウソだろ?
綾子 ウソじゃないわ。ハードロックのバンドみたいに髪ふり乱したりして、凄まじいわよ。
明 信じられないなあ。
綾子 あのときも凄まじかったわね。
明 「エクソシスト」みたいに?
綾子 一度優子がね、高校の補導教師にこっぴどく叱られたことがあってね――。
優子 止めてよ。
綾子 (無視して)その先生によるとね、学校で禁止されてる喫茶店から、出てくるところを目撃したって言うのよ。制服の上からブルーのカーディガンを羽織った優子が。横断歩道の信号が赤じゃなかったら、その場で捕まったんだけど、身に覚えがないわけよ、彼女は。
俊介 アヤが犯人だったわけか。
綾子 それ聞いて笑っちゃってね。そしたら凄い剣幕で殴りかかってきたの。
優子 悔しいと思わない? 私の方がずっとスタイルいいのに、どうして間違えられるのよ。
明 制服の上からスタイルなんて分かるのかな。
俊介 スケスケのセーラー服でも着てたんだろ。
明 美人に間違えられるなんて悪くないじゃない。
優子 誰が美人よ。
明 グラス片手に微笑んでるでしょ? どっかのウイスキーのCFみたいに。
綾子 私のヌード・カレンダー差し上げます、てね。
明 それいい。抜群にいい。
優子 小さい頃はそれほどでもなかったくせに。
綾子 確かに小さい頃はとびっきり評判よかったわね、優子の方が。でも中学を境にして、私が逆転したけど。
明 脚の長さも?
綾子 見る目が違うわ。
優子 いい加減なこと言わないでよ。長いのは認めるけど、たった1センチじゃない。背なんて6センチも高いのに。
綾子 この前、2センチあったわよ。
優子 いいえ。1センチ3ミリ。水増ししないでよ。
綾子 たいして変んないじゃない。
優子 もう一度計ってみる? メジャー持って来て。
明 脚の長さってどこから計るのかな?
綾子 (指差し)腰骨のここんところから、あとは地面に着くまで。
俊介 スッポンポンになるしかないな。
明 綺麗だろうなあ。
綾子 見せてあげたいくらいよ。
優子 いい加減にしてよ。だいたいアヤは、人におだてられるとすぐにその気になるんだから、ニコニコして。
綾子 あら、そう?
優子 去年編んでやったセーターは?
綾子 あれはとってもセンス良かった。斬新なデザインだって褒めてた。
優子 それは聞いたわよ。でも妹が編んだなんて、小沢さんに言えなかったでしょ?
綾子 だからその見返りに新しいスカート、プレゼントしたんじゃない。コム・デ・ギャルソンの。
優子 ジャケットまでそろえてくれたら、満点だったけど。
綾子 欲張りねえ。
優子 欲張りはどっちよ。自分の誕生日にかこつけて、ハーフムーンのコートを手に入れたの。
綾子 パパの機嫌が良かったからよ。フレッド・アステアみたいに。
優子 ご機嫌とりが上手いだけじゃない。
綾子 あなたは下手なの。
優子 さっきから気になってたけど、何しに行ったの、俊ちゃんのところへ。
綾子 遊びに行ったんじゃない。しばらくぶりだし。(俊介に目配せする)
優子 ウソよ。
綾子 どうして?
優子 小沢さんのこと話したでしょ?
綾子 もちろん話したわよ。だって俊ちゃんに聞いてほしかったもの。ついでに、松本くんも同席したけど。
優子 どう話したのよ?
綾子 起こった事をありのまま、素直に。
優子 そんな芸当できるの?
綾子 ウソついても仕方ないじゃない。
俊介 アヤがありのまま暴露したか知らんけど、少なくともその小沢って男、大抜擢になりそうとか舞い上がってたやつ、そいつに対する気持は決まってるみたいだぞ。
綾子 もうサッパリした気分。
優子 それはおめでとう。でもこの際ハッキリ言っとくけど、アヤはさっさと彼と一緒になるべきよ。就職なんか止めて。
綾子 何言出だすの。この前なんか断然仕事をとるべきよって息まいてたじゃない。女の可能性は無限大だって、お互いに甘えた関係なくなるって。
優子 やっぱり無理だと分かったの、アヤには。
綾子 どうして無理なわけ?
優子 仕事なんて長続きできるわけないじゃない。やることすべてが中途半端だし、気分屋だし、こらえ性ないし、せいぜい職場の華なんておだてられるのが落ちよ。
綾子 随分だわね。
優子 家の中だってそうよ。自分じゃ一番のつもりか知らないけど、ぶるだけでらしいところなんてナシに等しいじゃない。気に入ったことだけやって何か責任持ってやったことってある?
綾子 だから結婚がいいってわけ?
優子 4年間、散々恋愛ごっこ楽しんだでしょ。夢があるうちに片付いた方がマシよ。
綾子 本当にそう思うの?
優子 もちろんよ。
綾子 正直言って、今すぐ結婚してもいいわよ。多少なりと憧れだったから。でも仕事だって人並みにやってみたいの。
優子 無理よ。
綾子 そりゃいっぺんにどっちもやれたらラッキーよ。でもまだ22じゃない。結婚と仕事の真ん中でフワフワって生きるのもいいと思わない?
優子 それが東京的な生き方?
綾子 別に東京的ってわけじゃないけど。
優子 アヤは一度この街を出てったのよ。性に合わないとか言って。
綾子 そんなこと言った?
優子 言ったわよ。いかにもこの街はうんざりなんて顔して。「ほら見て、もう手遅れだわ。足が地面から離れちゃってる」って。
綾子 私って「メリー・ポピンズ」なのよ。
優子 傘を飛ばされて、真っ逆さまに落ちてきたくせに。
綾子 昨夜まではね。もう大丈夫。
優子 おや、そうなの。知らなかったわ。俊ちゃんにも見せたかったわよ、あのふぬけよう。一日中部屋に閉じこもってブツブツ言ってるし、かと思うと、ワーグナーをガンガンかけながら昼間っからビール飲んでるし、あれが4年間東京で遊びほうけたなれの果てよ。みっともないったらありゃしない。
綾子 随分東京にこだわるのね。
優子 私はね、生まれてから20年間、この街を離れたことがないのよ。確かにどうしようもなく旧態依然としてるところがあるし、やたら進んでるところもあるし、そのチグハグさなんて閉口ものよ。だからって、離れようって思ったことないし、これからだってその気はないわ。この街が好きだし、何よりも居心地いいからよ。
綾子 結構じゃない。それがあなたの進むべき生き方だわ。
優子 生き方? そんな大袈裟なものじゃないわ。自分に正直なだけ。運命に逆らわずに生きてるだけよ。
綾子 私だって自分に正直だわよ。ただ、あなたと進む道が違っただけ。
優子 周りに流されただけじゃない?
綾子 あなたがここに居座ってるのが自然で、私がふらふら出てったのが運命に逆らうことなの?
優子 今更どうだっていいわよ。もう手遅れだし。アヤはどっぷり東京に染まってるし、元に戻りようがないじゃない。
綾子 何か東京に恨みでもあるの?
優子 別に。関係ないわ――私、俊ちゃんがやってるタウン誌が好きよ。凄く興味があるわ。私たち若い世代が、少しずつこの街を変えていく可能性があるから。だから短大卒業したら、本気で手伝おうって思ってる。
明 ほんと? 初耳だな。
優子 (明の方を向き)手始めに映画紹介やるわ。俊ちゃんもいいって。
明 ええ! 僕はどうなるわけ?
優子 ふぬけた短編小説があるでしょ? 「街の話題」もやってみたいって言ってたじゃない?
俊介 おい、そりゃまだだ。こいつの文章力じゃ「噂の真相」が関の山だ。
綾子 で、何が言いたいの、あなたは。
優子 昔とは違ってきたのよ。どうしようもなく。私はこの街が似合ってるし、アヤは多分、東京が似合ってる。
綾子 帰ってくるなってこと?
優子 そうじゃないけど。
綾子 何かまずいわけ? 私がここにいると。
優子 そんなことないわ。
綾子 でも居心地悪いんでしょ?
優子 そうね。
綾子 どうして居心地悪いの?
優子 それは……。
綾子 ビクビクしてるんでしょ? 昔みたいになるんじゃないかって。
優子 昔みたいって?
綾子 4年前まで私がいた頃よ。その頃に戻るんじゃないかって。随分様変わりしたわよね、この部屋も。壁にかかってたボール・デルヴォーの絵はないし、私たちの写真も跡形もなくなくなってるし。飾りダンスやクローゼットの上のいたるところ置いてあったのに。どうしてかたづけちゃったわけ?
優子 もう子供じゃないのよ、私たち。
綾子 確かに子供じゃないわ。でもパパはすごく気に入ってた。
優子 別に文句言われなかったわ。
綾子 そうね、私がめったに帰らないから。お陰で、思いがけないことが起こるのね。
優子 何よ、それ?
綾子 ねえ俊ちゃん、あの頃よく、パパと一緒に私の写真からかったわよね?
俊介 (苦笑いし)つまり、そういうことだ。
綾子 やっぱし。人が悪いんだから、勝手にからませといて。
俊介 だからいくらアプローチしてもダメだったってわけさ。明!
明 はあ?
綾子 あら、気があったの? 優子に。
明 (慌てて)気があった? 何言い出すんだよ。ひでえなあ。あれは単にデートに誘っただけだよ。ねえ、優子ちゃん?
優子 ディスコで迫ったわよ。好きだとか何とか言って。
明 あのときは、頭に血が登ってたからね。ディスコで踊るとついやらかしちゃうんだ。人格が変っちまうんだよ、ジキルとハイドみたいに。
優子 どっちで迫ったのよ
明 両方だよ。混乱してたから。
優子 凄い真剣な目つきだったわ。一瞬ふらついたもの。
明 眼鏡外してたせいだよ。視力0.1じゃ、手を抜いて人の顔なんか見れないよ。でもほんと? 何時気づいたの?
俊介 引越しのときだ。
明 引越し? じゃ何、僕がピーンときたときには、すでに二人は関係してたわけ?
優子 変な言い方しないでよ。始めは私が一方的だったの。でも朱に交われば紅くなるってやつよ。
俊介 らしいな。
綾子 おやおや、気があるだけかと思ったら、結構だますのも得意なのね。
俊介 着せ替え人形も得意だ。
綾子 そうね。おかしいって思ったのよ。俊ちゃんが服を選んでる光景って。
優子 でも着こなしは抜群よ。
明 やれやれ。
綾子 それにしてもお二人さんって、昔から趣味が変らないのね。どうして?
明 大昔のことですよ。僕なんか、ふざけて手を握っても警戒しない女の子が好きだったんだ。
綾子 今も変らないじゃない?
明 違いますよ。今はどんな趣味か教えましょうか? ピアノが上手で美人で、脚が長くって、スピード運転が得意な人だよ。
優子 私の趣味知らないの? 部下に信頼される人で、ヘビースモーカーで口が悪くって、頭がアメリカンじゃない人よ。
明 ハッキリ言わないでよ。ガンになる。
優子 早期発見じゃない。
明 ああ、そうかあ。それで分かった。優子ちゃん。
優子 何が?
明 どうして新作の短編小説が気に入らなかったのか。
優子 やっと分かった?
綾子 どんな話なの?
明 あるじゃじゃ馬OLの話でね。彼女が会社の上司と恋仲なんだけど、ある日喧嘩別れして、前から彼女に気があった部下の男とデートするんだ。エレベーターの下に落っことしたアパートの鍵を探し出してくれたからとか言って。それで二人は親しくなり、恋に落ちるわけ。
綾子 自分で知らないうちに、願望を書いてたってわけ?。
明 自慢じゃないけど、デジャヴ的な作品書かせたら天下一品だからね。
俊介 何とぼけたこと言ってんだ。その話も、結局元の木阿弥だろ?
明 何で知ってんの?
俊介 俺が読んでないわけないだろ。
明 参ったな。
綾子 ハッピーエンドより失恋の方が感動的なの?
明 残念ながら失恋の方が確率高いな。幸せ一杯じゃ誰も笑ってくれない。
綾子 そういうスタイルが好きなの?
明 好きも嫌いも、どうあがいたって自然とそうなっちゃうですよ。その証拠に、ハッピーエンド書こうとしたら、二日酔いが続いて諦めちゃった。
俊介 おい明、お前の作品はな、強烈なポリシーがないんだよ。だからふぬけだって言うんだ。いいか。人生をスタイルだけでかたづけるのは止めろ。そんなのものは紙ヒコーキでもつくって窓から飛ばしとけばいい。お前に必要なのは、お前の人生にとって、本当に生きる価値があるのは何かってことだ。それを見出すことだ。
明 生きる価値か。頭痛のするテーマだな。
俊介 真面目に考えてみろ、少しは。
明 分かったよ。
優子 例えば、自分の街に対する愛着とか。
綾子 それは、俊ちゃんに対する愛着でしょ?
優子 (照れくさそうに笑う)かもね。
綾子 何だか意表を突かれたって感じ。
優子 私たち?
綾子 お似合いかもね。
優子 本当にそう思う?
綾子 下手に割り込むと、噛みつかれるもの。危うく命落とすとこだったわ。
明 クビにしろ!なんて言わないでよ。
綾子 ねえ、ちょっぴり東京に染まった同士で、飲み直しに行かない? あなたの誕生日もあと一時間だし。
明 いいですね。ダウンタウンへ繰り出そう。
優子 それは私たちが言うセリフ。
明 え?
優子 私たちが出かけるってこと。(俊介に)いいでしょ?
俊介 子供が言い出すと、きかんからな。
明 (綾子に)嫌だと言ったら、噛みつかれるし。
綾子 仕方ないわね。
優子 じゃ、遠慮なく。
俊介と優子、ソファから立ち上がる。
俊介 明、飲み過ぎるなよ。
明 「酒とバラの日々」は不滅だ。
俊介 調子に乗るな。
ドアの外で、電話のベルが鳴り出す。
綾子 私が出るから。お二人さんは、どうぞお好きなところへ。
明 行ってらっしゃ~い。
俊介と優子、ドアの外に消える。
綾子 (ドアを半開きにしたまま、二人を見送る)さて、私も。
明 戻ってくる頃、バーボンなくなってますよ。
綾子 やっぱり将来アル中ね。
明 もちろん。
綾子、明に手を振りながらドアの外へ消える。
やがて電話のベルが切れる。
暗転
第二場
20分後。
明はバーボンを飲みながら待ちくたびれている。
立ち上がって、部屋をアライグマのように行きつ戻りつする。何かの拍子に、マガジンラックにけつまずき、バタと倒れる。
溜息をつきながら起き上がると、テラスの方へ歩み寄る。
明 (観客に向かって独白する)それにしても困ったな。どうしたらいいんだ? やっぱりこのまま彼女は、東京に戻ってしまうんだろうか。そんなことになったら、本当に「酒とバラの日々」になっちまう。だってテーマ曲は甘ったるくムードいいけど、ストーリーときたら、ひたすら酒におぼれていく夫婦の話じゃないか。
そりゃ、君と別れたときは辛かったさ。でも君は、東京生まれのお譲さん育ちだし、東京以外の私って考えられない、なんて言われりゃ、流石の僕だって、変装しそこなった間抜けな怪人二十面相よろしく、都落ちするしかないじゃないか。
誰もがみんな何かを抱え込んでる。使い切れないくらい口説き文句を抱えこんでるし、言わずもがな、苦しいことだって。それは君にしても彼女にしてもだ。「苦しみだけが確実に手にすることのできる人生だ」そうかもしれない。だからって、彼女がこの街で生きる価値を見出せないってわけじゃない。彼女にとって何処だっていいんだ。彼女の人生を価値あるものにする、何かがあればいいんだ。
(ソファに戻り、横たわる)とは言うものの、僕にとってそれは何なんだろう? 何が僕の人生を価値あるものにするんだ? 何が僕に生き甲斐を与えてくれるんだ?
明、マイクの代わりにグラスを手にとり、合間にいちいち飲みながら、グラスに向かって言葉を発する。
明 まず……ウディ・アレン、彼の自虐的コメディ……キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」、無数のソウル・バラード、山下達郎の多重コーラス……ジョージ・ロイ・ヒルの映画……J・D・サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」、ソール・ベローの「この日をつかめ」、リチャード・ブローティガンの「愛のゆくえ」……ダイアン・キートン、ダスティン・ホフマン……君のつくってくれたとびっきり辛いカレー……それから、彼女の輝くような微笑……。
そうだ! (おもむろに体を起こし、ソファに座り直す)彼女の微笑は素晴らしい。小説を書くに値するものだ。もしかしたら、彼女の気を引く何かに役立つかもしれない。
幻想場面の照明になり、軽快なピアノ曲が流れる。
電話器を持った幻想の女(綾子)が現れ、ピアノの椅子に腰を下ろし、脚を組む。
明、ソファの下から電話器を取り出し、受話器を耳に当てる。
女 (受話器に向かって)私、別れるわ。
明 (受話器に向かって)え? 誰と?
女 決まってるじゃない。彼とよ。
明 ホッとした。僕と別れるのかと思った。
女 今何してたの?
明 小説書いてた。
女 どんな?
明 ロマンス。
女 ロマンス? 性懲りもなく?
明 実を言うと、こんなこと言ったやつがいるんだ。ロマンスの主役は女だけだ。男はパートナーでもなければ脇役でもない。単なる提灯持ちに過ぎないって。
女 誰が言ったの?
明 僕さ。
女 キザね。どうして?
明 ロマンス書いてるときって、いつもそうなんだ。もっとも声の相手が君だから言えるんだけど。
女 本当に別れる気になったのよ。
明 そうして電話を切る頃には、もう一度やり直してみるって言い出すんだろ? 毎度のことさ。
女 今度は本気なの。信じてくれる?
明 じゃあ、一つだけ質問に答えてくれる?
女 いいわ。
明 僕が君を知ったのは、3年前の学園祭のときだった。憶えてるだろ? そのとき、君は黒のドレスを着て、とっても綺麗だった。美人コンテストに出た、他の女の子の誰よりも綺麗だった。でも僕が一番好きなのは、君のあけっぴろげな微笑さ。その微笑のためだったら何だってできる。電話の回線が磨り減ってなくなるまで君の話に耳を傾けてられる。何故って、電話口じゃいつも、君の微笑を想像してるからさ。……だから、そんな僕とつき合ってくれる? これが僕の質問さ。
女 今言ったこと、小説のセリフじゃないでしょうね?
明 僕の本当の気持さ。
女 間違いない?
明 間違いないさ。なんならニクソンを証人に立ててもいい。
女 あなたの質問に答えるわ。OKよ。
明 ありがとう。
女 ちょっぴり驚いたけど、嬉しいわ。
明 今書いてるロマンスのタイトル教えようか?
女 聞きたいわ。
明 「呼び出そうと呼び出すまいと、僕は在(いま)す」
女 たった今、思いついたんでしょ?
明 勘がいいな。
女 これから会えない?
明 喜んで。
女 じゃあ、ホテルのロビーで待ってる。
明 黒のドレスでも着てくるのかな。
女 いいえ。微笑を着てるわ。あけっぴろげの微笑を顔いっぱいに浮かべて……。
女、電話器を持ったままドアの外へ消える。
照明が消え、同時にドアが開き、綾子が入ってくる。両手に写真立てを三つ持っている。
明、気づかず、電話器を持ったまま、恍惚としている。
綾子 どうもお待たせ。
明、ハッと我に返り、慌てて電話器をソファの下に戻す。
綾子 何隠したの?
明 え? いや、何にも。
綾子 何か隠したように見えたけど。
明 いやいや、そんなことないですよ。それとも飲みすぎて夢遊病になったのかな。
綾子 まだ残ってるかしら。我が家のアル中の素?
明 残ってる、残ってる。ほら、スコッチが3本に、バーボンとウォッカ。それに、レミーマルタン・VSOP。上等だな。
綾子 遠慮しなくていいわよ。
明 いや、止めとく。ブランデーはふられたときの酒なんだ。
綾子、テーブルの上に写真立てを並べる。
綾子 あなたの希望通り、持ってきたわ。
明 (眺める)嬉しいなあ。
綾子 二十個全部持ってこようかと思ったけど、持ちきれなくってね。
明 選りすぐりのベスト・スリーってとこか。
綾子 前衛的なのは避けたわ。
明 前衛的って?
綾子 私が全然写ってないやつ。
明 (写真立ての一つを手に取り)これ、可愛いなあ。愛くるしいって言うか、白いベレー帽がとっても似合ってる。ミス・ユニヴァースでも応募したの?
綾子 15で資格があると思う?
明 (別の写真立てを手に取る)和服も似合うんだなあ。この調子でいくと、ゲリラ服姿もあったりして。となりはお袋さん?
綾子 双子みたいでしょ?
明 成人式のとき撮ったの?
綾子 高3のときよ。確か従兄の結婚式だったかしら。それでせっかくだからってフォト・スタジオに入って、プロに撮ってもらったのよ。まるで整形美人でしょ? 写真を店頭に飾らせて欲しいって頼まれたんだけど、恥ずかしいじゃない?
明 (三つ目の写真立てを手に取る)これが話題のフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースかあ。確かに重そうだな。
綾子 そりゃそうよ。生まれたとき、3千グラムあったんだから。
明 3千グラム? たいしたもんだ。やっぱり「若草物語」はカット?
綾子 本当にブスに写ってんだから。
明 見られたくない?
綾子 たとえ子供のときでもね。でなきゃ何のため化粧するの?
明 アヤさんの笑顔は素敵ですよ。おそらく化粧しなくっても。
綾子 ほんとにそう思う?
明 だってほら、15、16、17、それから現在でしょ? 歳と共に磨きをかけてきたって感じですよ。何か秘訣でもあるのかな?
綾子 紙やすり使ってるからよ。
明 へえ、貸してもらいたいね、その魔法の紙やすり。
綾子 あなたも悪くないわよ。
明 どんでもない。僕なんかひきつる一方ですよ。女の子に逃げられる度に。
綾子 逃げられなきゃいいのよ。
明 ねえ、実を言うと、ダイアン・キートンって歌が上手いんだけど、スピード運転も得意でね。でもファンとしてはやって欲しくないんですよ。
綾子 歌うってこと?
明 まさか。スピード運転ですよ。何故かって言うとね、リング・ラードナーの短編小説思い出すんですよ。リング・ラードナー、知ってます?
綾子 スコット・フィッツジェラルドの友人で、アーネスト・ヘミングウェイに影響を与えた人。読んだことないけど。
明 彼の短編の中にね、「微笑がいっぱい」てのがありましてね。
綾子 「息がつまりそう」なら知ってるけど。
明 ニューヨークの5番街で交通巡査をやってる男と、スピード狂の女の子の話でね。その女の子確か、あなたと同じ歳だったと思うけど。
綾子 22歳?
明 間違いないな。で、その巡査って凄く陽気でいい人でね、違反した車を捕まえても大抵許してくれるんだ。ロンドンで左側通行の癖でもつけたのかい、なんてジョーク飛ばすだけで。
綾子 そんな人だったら捕まってみたいわね。
明 だからある日、稲妻のように突っ走ってきた車を捕まえるんだ。でもあまりに常軌を逸した気狂い運転だったから、流石にどやしつけてやろうって勢い込む。そしたら運転してた彼女を見た途端、メロメロになっちゃうんだ。人の心をとろけさせるような微笑を浮かべてたんでね。
綾子 それで彼女に恋するんでしょ?
明 確かにね。でもせいぜい顔なじみになって、家まで送ってもらうだけ。巡査は妻帯者だし、彼女にもフィアンセがいるから。
綾子 純愛モノね。
明 ところがある雨の日、男を家まで送ったあと、彼女は電車に突っ込んであっ気なく死んじゃうんだ。それからというもの、男は二度とジョーク飛ばさなくなる。違反した車も絶対許さなくなる。
綾子 つまり、スピード出さないで欲しい?
明 小さい頃から、スピード恐怖症でね。
綾子 でも結構はしゃいでたじゃない? 流星になったみたいに。
明 混乱しちゃうんですよ、スピード出過ぎると。
綾子 今でも混乱してるでしょ?
明 確かに。
綾子 ねえ、どうして玲子と別れちゃったの?
明 え?
綾子 男の人って、惚れた女のイメージ追い続けてるでしょ?
明 チャップリンなんか生涯そうだったらしい。だからコロコロつき合う女優を変えたんだ。
綾子 松本君は?
明 ご多分にもれずね。もっともチャップリンと決定的に違うのは、次々と逃げられたってことかな。
綾子 別れるべきじゃなかったって思う?
明 もう手遅れだな。彼女、モデルやってたし、相手に不自由なんてしないよ。
綾子 私が知ってる限り、ステディはいなかったと思うけど。
明 隠すのが上手いんだよ。たとえ二人でいるところに出くわしたって、たちまち相手を透明人間に変えちゃう。
綾子 ありそうなことね。
明 実を言うと、錯覚しそうになるんですよ。
綾子 そんな気がしたわ。髪を切る前は、私とほとんど変らなかったから。
明 脚は長いし、笑顔もとっても素敵だし。
綾子 スピード運転はしなかったわね。
明 その代わり、赤信号で渡るのが早かった。僕がぺらぺらぺらって喋りながら歩いててふと気がつくと、道向こうで手招きしてるんだ。危うく車にはねられそうになったな。
綾子 彼女って、何でも先に決めちゃうでしょ? 決めたあと、相手に意見を訊くでしょ?
明 服を選ぶときもそうだったし、ラジオのパーソナリティ決めたときだって。あとから血眼になって反対しても無駄だった。
綾子 私なんか、心に決めるまでいろんな人を巻き添えにしちゃうけど。
明 それがアヤさんのライフ・スタイルでしょ?
綾子 そうなの。
明 いつですか? 卒業式。
綾子 24日よ。
明 あと2週間とちょっとか。
綾子 でも明日帰るわ。
明 明日? ほんとに?
綾子 あと1週間いるつもりだったけど、急用ができたの。
明 参ったなあ。(と、写真立てを手に取る)
幻想場面の照明になり、叙情的なピアノ曲が流れる。
明と幻想の女(綾子)が立ち上がり、お互いの手を握り、ソファの周りをゆっくりと歩く。
明 思えばこの3年間、何度この道を往復したんだろう。結婚式場の前のバス停から横断歩道を渡って、「ジョニイへの伝言」を3番まで口ずさみながら歩くと、君の仕事場があるマンションにたどり着いたんだ。
女 あなたが玄関のチャイムを鳴らす度に、ミシンを動かす手を休めなきゃならなかったわ。
明 それから一言二言喋ったら、また同じ道を戻っていった。僕はそれで十分満足だったんだ。
女 始めのうちとっても迷惑だったけど、そのうち指輪みたいな帽子つくるようになって、ワクワク待ち構えるようになったわ。お陰でいろんな素材に挑戦してミニ・ハットつくった。
明 僕は君の笑顔を見て、帽子をもらって帰る。
女 同じことの繰り返しだったわね。雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモ――。
明 一度、君のママにも会ったな。
女 娘を片想いしてる大学生を見たかったのよ。あなたと同じくらい浮ついてた。
明 あのとき、何故か君の少女時代を想像したんだ。それまで一度もなかったのに、君のママに会った途端にさ。
女 どんなこと想像したの?
明 ニッコリ笑って立ってるんだ、10歳くらいの愛くるしい君がさ。それから、からってた赤いランドセルを机の上に置いて、今日学校で何があったかなんて、君のママに向かって喋り出すんだ。まるで双子のようだったな。
女 ママは綺麗だった?
明 もちろんさ。それで僕は思ったんだ。小さい頃から君を知ってたら、どんなに素晴らしかっただろうって。
女 私はデザイナーとして、大変な賞を取ったのよ。一度でいいから、褒めて欲しいわ、仕事の方も。
明、急に立ち止まる。つられて女も足を止める。
明 明日の上京を止めるって言ってくれたらね。
女 半年で戻ってくるかもしれない。とっても厳しい世界だから。
明 (女を見つめる)本当に半年で戻ってくる?
女 (明から手を離す)分からないわ。
明 僕はこの3年間、人生でもっとも幸福な日々を送ってきた。分かるだろ? 君と出会うまでも幸福だったかもしれないけど、君とめぐり逢ってその頂点に達したんだ。僕にとって「永遠の現在」が続いてたんだ。
女 私はデザイナーとして自立したいのよ。それが子供の頃からの夢だったの。
明 分かってる。分かってるけど、行って欲しくないんだ。
女 お願いだから諦めて。
明 どうやって諦めるんだ?
女 私のつくった帽子は全部捨てて欲しいの。想い出のよすがなんてして欲しくない。あなたのためよ。(ポケットから帽子を取り出す)この、最後の帽子だけは大切に持ってて欲しいの。だって私にとって……「永遠の現在」なんだから。
女は最後のミニ・ハットをいとおしそうに明に手渡す。
明は茫然と女を見ている。
やがて照明が消え、音楽がフェイド・アウトする。
二人とも、いつの間にかソファに戻っている。
明は食い入るように写真立てを見ている。
綾子 どんな話ができたの?
明、ハッと我に返り、綾子を振り向く。不思議そうに彼女の顔を見る。
綾子 ママと写ってる写真、穴が開きそうだったわよ。
明 またやらかしちゃったな。まるで「虹を掴む男」だ。
綾子 ねえ、二人とも登場するの?
明 もちろん、登場するよ。二人ともワニのマークのついたシャツを着てて、テニスのラケットを持ってるんだ。お袋さんは台所で納豆スパゲッティ作ってて、あなたはバスルームでクモの退治してる。
綾子 思いつきでしょ?
明 そこがミソなんですよ。そういう思いつきから、ストーリーが発展していくんだ。
綾子 おまけに、いちいち見た映画がからむんでしょ?
明 かこつけるのが好きでね。「シティ文芸」なかったら大変ですよ。しょっちゅう現実と見境なくしちゃうから。
綾子 そんなにしょっちゅうなの?
明 裏通り歩いてて、ちょっと洒落た店を見つけたとするでしょ? すると嬉しくなってストーリーの頭が浮かぶ。しばらくその店で、ワインかなんか飲みながら思い巡らしたあと、表通りに出る。するとそこはいつの間にか、ニューヨークの五番街になってて、思わず前を歩いてる脚の長い女の子に声をかけたくなる。
綾子 「ティファニーで朝食を」のホリー・ゴライトリーだったりして。
明 僕なんかコイン・ランドリーで朝食だけど。
綾子 飛躍が激しいのね。
明 そこがストーリー展開を面白くする秘訣でね。でもやっぱり、テニスのラケットは本来の目的に使いますよ。ダイアン・キートンも映画で実際にやってたし。
綾子 25歳になったんだから、本格的に始めたら?
明 左利きならやるけど。
綾子 ビヨン・ボルグにでもなるつもり? とにかく今から始めたら、ボルグのおばあちゃんくらいにはなれるかもよ。
明 そうですね。25でテニスを始めれば、女の子に逃げられなくなるかもしれない。
綾子 ねえ、さっきの電話、東京からだったの。
明 彼氏から? だから1週間つぶれちゃったのか。
綾子 そうじゃないの。実は、25歳で大抜擢になりそうだって息巻いてたでしょ? それがオジャンになったの。
明 なるほど。
綾子 始めのうちはね、見返してやるなんて強がり言ってたんだけど、何でも社長か重役の御曹司とかに横取りされたらしくって。本当かどうか知らないけど。
明 奇遇ですね。僕と同じだ。
綾子 でね、それはまたご災難でしたわねえ、なんて同情のかけらも寄せず聞いてたんだけど、段々元気なくなっちゃうわけよ。男ってどうしてちょっと挫折すると、女に甘えたがるのかしら。呆れちゃうわ。
明 僕なんかつまづきすぎて、甘える相手すらいないんだけど。
綾子 あなたの場合は、つまづく度に逃げられたんでしょ?
明 鋭い!
綾子 だからって、情にほだされて帰る気になったわけじゃないのよ。彼には、自分で自分の始末をしてって、きっぱり言ったわ。
明 じゃ、どうして?
綾子 やっと気づいたのよ。あなたの「微笑がいっぱい」の話を聞いて。て言うのはね、彼って本来とっても思いやりのある人なのよ、あなたと同じで。あなたが私のスピード運転を心配してくれたみたいに。
明 顔が引きつってきた。
綾子 結婚してくれって言い出したのもね、就職なんかするなって言い出したのもね、もとはと言えば、私に対する親切だったと思うのよ。
明 親切?
綾子 何て言うのかしら。私がやりたいことっていろいろあるのね。例えば、あなたに薦めたように、テニスを本格的にやってみたいと思うし、原書を読んだり、通訳ができるくらい英会話も覚えたいし、もちろんお料理だって嫌いじゃない――。
明 それがどう関係あるんです? 親切と。
綾子 つまり彼って、私がやりたいって思ってることを全部知ってるのね。それを全部実行しようなんてしたら、一日40時間あっても足りゃしない。だから何も慌てて男みたいに就職しなくたって、結婚ってかたちをとれば、好きなことをやるためのお膳立てになるって言うのよ。それからだって仕事は十分やれるわけだしって。私、彼がそう言ってくれた思いやり忘れてたのよ。
明 ずいぶん親切だなあ。
綾子 彼の親切って、彼は彼なりに私を守ってあげたいって、そう思ってるのよ。社会の荒波とか人生の空虚さから。その上で、女は女なりに社会と関わり、女は女なりに人生を歩んで欲しいって、そう願ってるのよ。
明 つまり、彼の親切って、あなたの人生を価値あるものにするんだ?
綾子 まさにその通りね。
明 僕がリング・ラードナーのつくり話をしたお陰で、あなたはそのことに気づいたんだ?
綾子 ありがとう。
明 タイミングよかったでしょ?
綾子 バッチリだわ。
明 僕もグッド・タイミングですよ。
綾子 ねえ、カート・ヴォネガットの新作に、こういう言葉があったの。
明 まだ翻訳なんて出てないでしょ?
綾子 その通り。Love May Fail, But Courtesy Will Prevail 「愛は敗れるかもしれないけれど、親切は勝つ」私、この言葉の意味が少しずつ分かってきたような気がするの。
明 「愛は敗れるかもしれないけれど、親切は勝つ」か。
綾子 今まで随分いろんなものをなくしたけど、この言葉を信じてる限り、まだまだ捨てたものじゃないわ、人生って。あなたもよ。
明 僕も? 信じられないな。
綾子 女の子に本当に親切なら、逃げられることなんてないのよ。
明 今まで親切が足らなかったんだ?
綾子 楽勝にはいかないわね、映画みたいに。
明 一念発起するか。
綾子 応援するわ。
明 ねえアヤさん。僕は今まで、誰かのために短編小説って書いたことないんだけど、あなたのために書いてみようかって思うんだ。
綾子 ほんとに?
明 何とかクリスマス・イヴまでに仕上げますよ。
綾子 どんな話?
明 やっぱし、ちょっぴりおかしくって感動的な話になるかな。いつもより長くなるかもしれないけど。
綾子 もし出来上がったら、お返しにハーモニカ、プレゼントするわ。
明 嬉しいなあ。
綾子 C調のブルース・ハーモニカがいいわね。
明 アヤさん、初対面だったのに、僕の25歳の誕生日を祝ってくれて、ありがとう。感謝してます。
綾子 どういたしまして。
明 今度はあなたの誕生日をお祝いする番だな。
綾子 クリスマス・イヴが楽しみだわ。
テーマ曲(山下達郎の「クリスマス・イブ」)が流れる。
と同時に、幻想場面の照明となり、一瞬のうちに、クリスマスの雰囲気になる。
テラスの方を見ると、小雪がちらついている。
明と綾子は、寄り添い、見つめ合い、そしてキスをする。
ストップ・モーションのように長い長いキスをする。
音楽は途中から、「アイ・ラブ・ユー PART Ⅰ」にクロスする。同時に、照明がゆっくりと落ちていく。
-幕― (1986・12)
親愛なるシネマ・ワンダーランドの読者に捧ぐ
● 引用した映画
「真夜中のカーボーイ」(監督:ジョン・シュレシンジャー)
アメリカ映画 1969年製作 原題:Midnight Cowboy

「サウンド・オブ・ミュージック」(監督:ロバート・ワイズ)
アメリカ映画 1965年製作 原題:The Sound of Music

「メリー・ポピンズ」(監督:ロバート・スティーヴンソン)
アメリカ映画 1964年製作 原題:Mary Poppins

「酒とバラの日々」(監督:ブレイク・エドワーズ)
アメリカ映画 1962年製作 原題:Days of Wine and Roses

「虹を掴む男」(監督:ノーマン・J・マクロード)
アメリカ映画 1947年製作 原題:The Secret Life of Walter Mitty

● 引用した書籍
「愛のゆくえ」(リチャード・ブローティガン著)

「この日をつかめ」(ソール・ベロー著)

「微笑がいっぱい」(リング・ラードナー著)

「ジェイルバード」(カート・ヴォネガット著)

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