玲子に捧ぐ・1984
玲子に捧ぐ・1984 ~「MEMORIES’77」後日綺譚~
有名無名を問わず、多くの人が1984年について書いている。坂本亮もその一人だ。
ジョージ・オーウェルより39年遅く、村上春樹より21年早い。
「玲子に捧ぐ・1984」というタイトルは、大胆にも、J・D・サリンジャーの「エズミに捧ぐ」にあやかっている。
1984年に亡くなった有名人にもあやかっている。「アメリカの夜」のフランソワ・トリュフォー監督、「ティファニーで朝食を」の原作を書いたトルーマン・カポーティ、「夏服を着た女たち」を書いたアーウィン・ショー、「ホワッツ・ゴーイン・オン」を歌ったマーヴィン・ゲイ、そしてお馴染み「愛のゆくえ」を書いたリチャード・ブローティガンである。
ただ、坂本亮に言わせれば、1984年産の自家製ワインのような作品であるらしい。
当ブログの間借人である坂本亮にとって、想定外とも言える多くのユーザーから30年前に書いた「MEMORIES’77」が読まれたことが嬉しいらしい。図に乗った彼は、僕に貸しがあることをいいことに後日談を公開するように迫った。
そんなわけで、名作映画ナビゲーターを自称する僕にとって、極めて遺憾ではあるけれど、後日綺譚なるものを、あえて公開に及んだような次第である。
念のため付記しておくが、この作品は同名長編小説の抜粋である。
「MEMORIES’77」で、大学生モデルをやっていた玲子がとびっきりカワイイ女子となって登場する部分だけを切り取っただけである。
僕は安楽椅子に座り、真実(まみ)が来るのを待っていた。いつもなら行きつけの「ホーボージャングル」で待ち合わせするのだが、日曜日は休みなので、彼女がホテルのロビーでと指定してきたのだ。
しばらく映画のことをあれこれ思い描くうちに約束の5時が過ぎた。僕はロビー中央に据えられた大きなクリスマス・ツリーを眺めた。ロックフェラー・センターのもみの木と比べれば見劣りするが、それでも高さは5メートルほどあり、点滅するライトでロビーはそこだけ賑やかだった。
やがて時計は6時をまわり、仕方なく彼女の家に電話を入れようと安楽椅子から立ち上がった。そしてクリスマス・ツリーの前を通り過ぎようとしたとき、3基あるエレベーターの一番手前の扉がゆっくりと開いた。
僕は茫然と立ち尽くした。風のように君が現れたのだ。
ちょうどクリスマス・ツリーと肩を並べるように立ち尽くした僕は、君が気づくまで声をかけずに待ち続けようと思った。思いがけない再会であったが、僅かに体が硬くなるだけで、不思議と冷静だし心臓の鼓動も聞こえなかった。おそらく二度と君に出会えないと諦めていたせいだ。
そしてゆったりとした歩調でフロントへ向かう君の姿をいとおしく見続けた。透き通るような艶のある長い髪、前方の一点を見つめながら歩く表情、肌のみずみずしさ。7年前とほとんど変らない。僅かに変ったと言えば、前より顔に丸みを帯びたことだろう。スリムな身体にぴったり合った服装は相変わらず黒づくめだ。カシミアのセーターもひざ丈のスカートもストッキングもロング・ブーツも、腕にかかえたミンクのハーフ・コートも。
ふいに踵を僕の方に向けると、君はやっと僕の視線に気づいた。そして立ち止まって僕を見つめた。その瞬間、あの薔薇のような微笑を浮かべた。7年ぶりに見るまぶしいくらい素晴らしい微笑だった。僕は再び君の微笑に圧倒され、かつて君に抱いていた想いを甦らせた。
ところが君が素早くボーイに声をかけ、運んでいた旅行バックを手にとって僕に歩み寄ったとき、その想いはまるでバミューダ・トライアングルにまぎれ込んだ戦闘機のように突然雲の中に消えていた。
「やあ、元気?」僕は陽気にそう言った。
「お久しぶりね」透き通るような声で君が言った。「驚いたわ」
「僕も驚いた」
そう言うと僕は黙って君を見つめた。このあと何を言っていいのか思いつかなかった。君も言葉に窮したらしく困ったように肩をすくめた。いつもの癖だ。すると君にふられた時でなく、君に初めて出会った時を思い出した。
「ブローティガンが死んだよ」と口をついて出た。
「ほんと?」
「自殺だったらしい」僕は努めて深刻にならないように言った。「それも随分経ってから発見されたって。49歳だったよ」
「厄年だったのね」
僕はいとおしく君を見つめた。「初めて出会った時、憶えてる?」
「もちろん憶えてるわ」君は懐かしそうに言った。「あなたはカウンターに座ってて、私はボックスでブローティガンの『アメリカの鱒釣り』を読んでた」
「今は何を読んでる?」
「そうねえ」君は髪をかき上げながら考えた。「ニール・サイモンの戯曲集」
「ほんと?」
「そう言うと喜ぶでしょ?」
「ユダヤ系の作家だからね」
「でも本当に読んでるわ」
「僕は『第二章』が一番気に入ってるんだ」
「私も」君は嬉しそうに言った。
「初めて意見が合ったな」僕は君の誇らしげな胸を見た。「で、君の第二章はどんなあんばい?」
「順調よ」
「そりゃよかった」
「あなたの第二章は、黒縁の眼鏡?」
「そうらしい」
僕は苦笑いをした。そして君のつややかな長い髪を見ながら、君に話したいことや君に聞きたいことが津波のようにあふれて来るのを感じた。同時に、肝心なことを何一つ話せない不安に襲われた。
「実を言うと」僕は思い切って言ってみた。「君を捜してたんだ」
「東京に行って?」
「とんでもない。この街でさ」
「どうして捜したの?」君は不思議そうに僕を見た。
「だって君はこの街にいたじゃないか」
「まさか」
「僕は二度も君を見かけたし、僕の知り合いだって大勢見てるんだ。少なくとも今年の3月からね」
「ずっと私は東京にいたわ」
「じゃあ、どうしてここにいるんだ? 僕は君の幻を見てるってわけ?」
「私がここに来たのは三日前よ」
「三日前?」
「妹を迎えに来たの」
「妹?」
「そう。私の上の妹。7年前の私そっくりの」
「じゃ何? 僕らが見かけたのは、君の妹さんだったってわけ?」
「だと思うわ」君はあっさり頷いた。「詳しくは聞いてないけど、半年ほど厄介になってたらしいわ。ここに住んでるお友だちのところに」
「叔母さんじゃないの?」
「叔母? 確かにこの街に住んでるけど、あの人とはつき合いがないの」
「本当だったのか」僕は独り言のように言った。
君は再び不思議そうに僕を見た。「どうして彼女に声をかけなかったの?」
「必死に追いかけながら大声で叫んださ、玲子ってね」僕はその時の情景を思い出しながら言った。「でも気づいてくれなかった」
「私たちってよく間違えられるのよ、小さい時から。でも彼女はそれを嫌ってるみたい」
「嫌ってる?」
「スタイルでは私に負けないと思ってるのよ」
僕は桐野愛子さんの撮った写真を内ポケットから取り出した。「この写真も?」
「妹だわ」君は手にとって写真を眺めた。「よく撮れてる」
「知り合いのプロが偶然撮ったんだ」と説明した。「それで今妹さんは何処にいるの?」
「先に空港へ行ってるわ。私たち最終便で帰るの」
「最終便?」
僕は驚き君の目を見た。澄んだ冷静な目だった。やっとの思いで再会できたのに、あっ気なく別れるなんてそんな残酷なことがあっていいのだろうか。少なくとも真実に会わせるだけの義務はあるはずだ。
「ねえ、せっかく再会したんだから、もう一日ゆっくり過ごせない?」僕は提案した。「明日はクリスマス・イブだよ」
「悪いけど、ダメなの」君はすまなさそうに言った。「来年早々、アメリカに立たなきゃなんないから」
「旅行?」
「ただの旅行とは違うわ。詳しく話してる暇はないけど、色々と勉強したいことがあるの」
「永く行ってるの?」
「少なくとも1年はね。場合によっては居つくかもしれない」
「結婚するってこと?」僕は心配げに訊いた。
「分からないわ…」君はそう言って口ごもった。「そうそう、あなたの好きなニューヨークへも行くつもり」
「ニューヨーク、かあ」
「まだ行ったことないんでしょ?」
「まあね」僕は5番街を思い描いた。「マンハッタンに行ったら、アルゴンクィン・ホテルに泊まりたい」
「『ニューヨーカー』の人たちが利用してるところね。行けばいいじゃない」
「でも当分無理だな」
「どうして」
「僕がニューヨークに憧れてるのは、あの街のイメージなんだ。勝手にイメージしてるニューヨークが好きなんだ。例えば、アーウィン・ショーが描いた失われたニューヨークとか、ウディ・アレンがモノクロで撮影したニューヨークとか―」
「私はリアルなニューヨークへ行くわ」決然と君は言った。
君の顔には自信に満ちあふれた表情が浮かんでいた。僕はそんな君を見つめながら、どうしても君を引き止めたいという衝動に駆られた。確かに君の自信は、この7年間に培われたものに違いない。でもそのきっかけをつくったのは僕なのだ。
「君はたくましくて魅力的になったよ」と僕は言ってみた。「7年前とは比べものにならないくらいにね」
「ありがとう」
「まるでニューヨークの摩天楼だよ」
君はくすくすと笑った。気持よさそうな笑い方だった。
「でも本当は」僕は真剣に君の目を見つめた。「今助けを必要としてるんだろ?」
「え?」
「僕は今初めて分かったよ。こうやって君と再会してね」僕は少し早口になった。「君が言うように、この街に出没したのは妹さんだったかもしれない。それとも、別の人だったかもしれない。それは今更どうだっていい。単なるヒントに過ぎないんだから」
「ヒント?」
「君は知らなかっただろうけど、僕は少なくともこの3ヶ月、必死で君を捜してたんだ。この街中をね。君に会いたかったからね。それだけじゃない。君が僕に対してテレパシーを送ったからなんだ」
君はあっ気にとられていた。「テレパシー? 何を言いたいの?」
「今の君は何かで悩んでいる。何かで苦しんでいる。誰かの助けを必要としている。そう僕には感じられた」僕は努めて冷静に言った。「だから君を助けようと思った。君を守らなくちゃいけないと思った。社会の荒波から、人生の空虚さから。僕が君を捜したのは、君を守ってあげたいからなんだ」
「守ってあげたい?」君ははぐらかすように言った。「ユーミンのヒット曲よ」
「あの歌とは関係ない。第一、あれは81年のヒット曲だ。今は84年だ。スティービー・ワンダーの『心の愛』がヒットしてる」僕は間を置いてかみしめるように言った。「いいかい。84年の『守ってあげたい』は、現在の偽らざる僕の、君に対する想いなんだ」
しばらくの間、君は僕の目をじっと見つめていた。君が何を感じ、何を考えているのか、君の表情からまったく分からなかった。ただひたすら君の心が動いてくれることを僕は願った。
やがて君は緊張をほぐすように肩をすくめると、にっこり微笑んだ。
「明の気持はよく分かったわ」君はさとすように言った。「未だに私のことをそれほど想ってくれてるなんて、とても嬉しいわ。でもその想いは私のためじゃなく、あなた自身のために必要なのよ。そうでしょ?」
「玲子、本当に―」
「長いお別れね」きっぱりそう言うと、君は身をひるがえしてフロントへ向かった。
その素早い動きに声が出ず、僕はチェック・アウトする君のうしろ姿をぼんやりと眺めていた。そして僕の魂胆が完膚なきまでに見破られたことを悟った。君に向けた言葉は、そのまま真実に向けるべき代物だったのだ。
二重の自動ドアを通って正面玄関の前に止まったタクシーまで、僕らは黙って歩いていった。君がコートを羽織り、車に乗り込もうとしたとき、僕は君の暖かい手を握った。
「ねえ、玲子」僕は君をいとおしく見つめた。「空港に見送りに行きたいんだけど、女の子と待ち合わせしてるんだ」
「それでいいのよ」君は再び薔薇のような微笑を浮かべた。「さようなら」
「元気でね」と僕は言った。
タクシーのドアが閉まると、車は通りに向かって走り出した。君はホテルの前に取り残された僕を振り返らずまっすぐ前方を見つめていた。さよなら!と聞こえるはずもない声を上げた。やがて車はスピードを上げてビルの狭間に吸い込まれていき、その姿が視界から消えてもなお、僕はその方向を見続けた。そしてすべてが終わったことを悟った。
再びロビーに戻ると、その足で電話ボックスに入り、真実の家に電話をかけた。すぐに妹が出てき、姉は急用で来れなくなったと告げた。もちろん腹は立たなかった。真実のお陰で君に再会できたのだから、むしろ感謝すべきだ。
僕はホテルを出、気の向くままに繁華街を歩いたあと、ピザ・ハウスのシェーキーズに入った。真実が君を見かけたと嘘をついた店だ。そして彼女と同じように生ビールを飲み、パイナップルとローストハムのピザを頼んだ。
折りしもモニターからワム!の「ラスト・クリスマス」が流れてきた。つと食べる手を止め、ジョージ・マイケルがかつて恋仲だった彼女を遠くから眺めるクリスマス・パーティの情景に見入った。見ながらそのバックに流れる切ない歌とメロディで次第に体中に鳥肌が立つのを感じた。
店を出て夜の街を歩き出してからも頭の中は「ラスト・クリスマス」のメロディが回転木馬のようにぐるぐるとまわっていた。気づくと口ずさんでいた。
僕はやも立てもたまらず目についたショットバーに飛び込んだ。そしてアーリー・タイムスのロックを飲みながら、心の奥底から沸き上がってくる切なさを癒そうとした。歌のせいだけではなかった。僕はその時になって初めて、君との短い再会と長いお別れによってもたらされた、例えようのない深い喪失感を味わっていた。
(文責:坂本 亮)
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